今回は動画コンテンツとしてのゲーム実況について、実況者レトルトを通して考えてみたい。
動画での第一声「こんちゃーす」が定番の挨拶であるゲーム実況者、という紹介の仕方がおそらく多いだろうと思う。
ゲーム実況は、動画内でゲームを喋りながらプレイしている様を見せるものとしておけば大きな間違いはないだろう。
ゲーム実況者と言われる者は数多くいる。しかしたとえゲーム実況をしていても、他にも様々なジャンルのコンテンツを動画で配信している場合には、ゲーム実況者とは呼ばれない場合もある。
少なくともゲーム実況をメインに据えて動画をあげている人でなければゲーム実況者とは呼ばれにくいようだが、それでももちろんその数は少なくはない。
その中でなぜ、レトルトを取り上げようと思ったのかと言えば、ごく単純に彼のゲーム実況を個人的によく見るからだ。
だからゲーム実況者としてレトルトに実績があるのは確かだが、別に彼がその中でナンバー1だと思っているというわけではない。というか、そこに関してはわからない。よく並んで名前を見ることが多いのは、キヨ、牛沢、ガッチマンといったゲーム実況者だが、優劣をつける意図はなく、この場では特に比較もしない。
ただ、実際に人気がある以上、一つの成功例であるのは疑いようもない。
この回の趣旨としては、まだ見たことのない人に向けてレトルトの動画を勧めるというよりも、一度でも見たことのある人に向けて、その成功がどのようにして成り立っているのかを考えることで何かの参考にしてみてほしいというところにある。
まあ、本当にちゃんとそのようになるかどうかは、現在進行形で書きながら考えているのでまだわからないのだが。
前置きが長くなってしまっているが、今のことに関連するので付け加えておこう。
ここに書くのは筆者の思考そのものであるため、書き始めた段階では結論は決まっていない。なんとなくこうなるのではないかという予測のようなものはあるものの、書いている途中で考えが変わることもあるかもしれない。
そしてそういった考え方の変化などについても基本的には書いていくことになる。
脱線はあまりしたくないものの、それだけに簡潔にまとまった文章になる可能性は高くない。
代わりに実況者や視聴者の「感覚」のようなものをなるべく掬い取っていくような文章にしたいとは思う。
そしてここでは敬称は略すことにする。
では、さすがにそろそろ始めるとしよう。
レトルトのYoutubeチャンネル
https://www.youtube.com/@retokani
しかしゲーム実況者としての「成功」が、いわゆる常に動画が相当な再生回数になるということや、ファンやフォロワーの数が多くなるという状態を指すのだと仮に定義したとしても、しかしその数字を厳密に定めるのは難しい。
それに別にそういう意味での「成功」を求めていないケースもあるだろう。
さらに生配信を中心にやっていく場合と、編集した動画を上げてやっていく場合の違いもある。
当然やるべきことはそれぞれのスタイルによって変わってくるはずだ。
レトルトの動画は編集したものを出すのが現在の主なスタイルのようだ。だから生配信を中心としているゲーム実況者には参考にしにくいところもあるかもしれない。
当然、完全に趣味と割り切って動画を公開していくのが悪いことや駄目なことだと思っているわけでもない。
目指しているところやその手法が異なる以上、全員が「成功」する方法を考えるのは難しい。
そのため逆に、レトルトの動画から考えるべきは「失敗」をしない方法とするほうが良いのではないだろうか。
「失敗」のほうは共通していることが多い。なぜならそれらはある一定のラインに常に待ち構えているものだからだ。
それは上にも下にもある。それがどういったものかは、彼の動画を見ながら考えていくことにしよう。
- まず動画を見てよく思うことの一つ目は、声がでかいというところだ。
レトルトのゲーム実況は基本的には一人で喋っている。
改めて考えてみると、独り言であの声のボリュームはおかしい。シチュエーションとしても部屋の中で機械に向かって感情豊かに喋り続けているわけで、傍から見れば不自然極まりない。
だが、動画としては最低限友達と同じ空間でゲームをしているくらいの喋り方をする必要はあるようにも思える。
聞き取れなければ意味がないのだから当たり前だが、しかしあそこまで声を大きく活舌も良くというのは、基本でありながらすぐには難しいはずだ。
とはいえこれに関しては、慣れてくれば多くのゲーム実況者がある程度はできるようになっていくのだろうとは思う。
そこで次のステップだ。
- ゲームについての説明を過不足なくする。
動画の冒頭でゲームの内容を説明している場面は、見たことのある人ならイメージできるだろう。
これもまた基本なのだろうが、それなりの情報量を短くまとめて話さなければならないため、意外と簡単ではなさそうに思える。
ここでのポイントの一つは今書いた、短く言わなければならないというところだ。
そもそもそれはなぜなのか。
筆者は動画自体に時間が表示されているからではないかと考えている。つまり動画の長さを視聴者がわかっているため、説明が長くなればなるほどゲーム本編に割かれる時間が短くなってしまうように感じられるからだ。
それに、すでにゲームの内容を知っている視聴者もいる。その場合、すでに知っていることを長々と説明されている時間というのは、ほとんど待ち時間も同然だ。
動画なので飛ばすこともできはするが、しないで済むならしたくはない。少しだけ面倒なことをいくつか要求されるような動画と見なされれば、そうじゃない似たような動画があると視聴者はそちらに流れていくことになる。
だから短く言わなければならない。だが、短い時間で言えることは限られている。
レトルトはその時間、何を言っていただろうか?
1、ゲームのタイトルを読み上げる。
2、そのゲームのジャンルや特徴、概要などを話す。
基本はこれだろう。
ジャンルは例えばホラーやノベルゲームなど。
特徴としては日本のゲームでなければ海外のゲームと言ったり、フリーゲームであるとかスマホゲームであるとか、あるいは何によって遊べるゲームなのかなどといったことを言う。
概要はゲームの内容の説明だが、当然この時点ではほぼ未プレイのため、ゲームサイトやダウンロードサイトでの紹介文などを引用し、そのゲームが何をするゲームなのかを視聴者に向けて話す。
このあたりはゲーム実況者の多くがすでにしていることではあるだろうが、適切な時間内に収めるのはやはり慣れが必要そうだ。
伝わらなくては意味がないし、時間が長くてはじれったくなる。だから説明すべきことをすべて説明することはできない。
レトルトの動画では、タイトル画面でこのあたりを話しつつ、話し終わる前にゲームをスタートさせている場面を結構よく見る。
そして説明が終わらなくてもゲームを始めてしまう。
説明の続きは話せるタイミングが来たら話す。冒頭付近ではあるだろうが。
視聴者からすると、ただ待っているだけの時間がないおかげで自然にゲームの中に入っていける。
視聴者を待たせないようにしつつ、視聴者がゲームと、それをプレイする動画そのものを楽しめるように土台を作るのが、この冒頭部分であるわけだ。
動画冒頭部分の説明はシリーズものの場合、もちろん二回目からは異なってくる。
これも当然の話ではあるが、前回何をしたかの説明を簡潔にする。そして大抵はすぐにゲームを始めるようだ。
これはおそらく生配信でゲーム実況をしている場合とでは最適解が違う。
生配信のときにはその日初めてそのゲームや実況を見るという視聴者を意識する必要があるためだ。それに途中参加の視聴者もいる。
いずれにせよ、短くわかりやすくが基本であるのは変わりないのだろうが。
- 次に思うのは、黙らないことだ。
今何をしようとしているのか、何に気づいて、どう感じ、何を考えたのか。
ゲームへのリアクションだけでは喋る時間が足りないときに、そういったことで間を埋めているように思う。
というふうに書いてしまうと、ただ単に時間を埋めるためだけのトークをしていると思っているようだが、ここでどれだけ視聴者を離さない言葉を発することができるかというのが、ゲーム実況者としてのセンスを問われるところではないか。
むしろ時間を無駄に消費していると視聴者に思われないようにすることこそ、編集したうえで出す動画としては重要だろう。
行動の意図や、今現在どのように操作しているのかの説明、画面上で起こったことやゲーム中の謎やヒントに気づいたと表明する、楽しいや怖い、面白いといった感情の発露、ゲーム内の世界観や謎への考察や推理。
ただし、レトルトはゲームと無関係の雑談はあまりしない。まったくないわけではないが、特にゲーム内で何か展開しているときには、話を止めてゲームに向き合う。
だから次に提示すべきはそれになる。
- ゲームに向き合う、まさにこれだ。
視聴者がゲーム実況を見ようと思うときのパターンはいくつか考えられる。
まず第一には、その実況者のファンである場合。
ただ、たとえその実況者が好きであっても、全動画を見つくすという人はおそらく多数派ではないだろう。レトルトなど、年季が長いこともあって今からすべてを遡って見ていくのはかなり大変だ。
となると、特に興味を引かれるものを選んで見るという人のほうが多いはずだ。
かつ、実況者本人が好きというより、そのゲームの実況を見たいという人が見に来る場合も多いだろうと思う。というか、ゲーム実況をメインにしている人を知りファンになっていくその入り口はそういうところが多いのではないだろうか。
つまりゲーム実況者が念頭に置くべきは、そのゲーム自体を誰かがやっているのを見たいという視聴者と、特定の実況者がそのゲームをやることによる化学反応を見たいという視聴者の両方を想定する必要があるということだ。
そのときにやってはならないことの筆頭が、ゲームを無視し続けることだろうと思う。おそらく、そのゲームにネガティブなことを言うよりもこちらのほうが余計に良くない。
ただもちろんゲームと関係のない雑談をしてはいけないということもないだろう。レトルトの場合断りを入れたうえでゲームの進行をストップして話したり、あるいはゲーム上の展開がない時間に話していたりということがある。
それにこれも生配信の場合とではまた事情が変わってくる。視聴者のリアルタイムのコメントなどもあるためだ。
そろそろ初級編から中級者向けあたりの内容になってきた気がする。
- というところで、そろそろ編集手法についても触れておこう。
レトルトの動画を見る限り、凝った編集はあまりない印象がある。
そもそもゲーム実況者には一人でやっている人も多く、ゲーム実況をしている理由の一つには、編集をしなくてもゲーム自体が面白ければ動画として成り立つ、という部分もあるだろう。もちろんゲームにもよるが。
人手や手間の関係であまり編集しなくてもいいから参入しやすい、というのがゲーム実況だとするなら、多くのゲーム実況者があまり編集をしないのは当たり前のことと言える。
レトルトの動画での編集でよく見るのは、やはり単純なカットが最も多い。
進展のないシーンを飛ばして見どころを中心に見せる。生配信ではないことが前提になっている以上、当たり前と言えば当たり前ではあるのだが、意外とカットしていなかったり、それほど必要のないシーンを残してしまったり、あるいは切らないほうがいいシーンまで切ってしまう実況者もいるように思う。
重要なのは視聴者にストレスを与えないこと。そして飽きさせないこと。それからやはり、ゲームを雑に扱わないことだ。
レトルトの他の編集としては、文字での補足や字幕がたまに出てくることもあるが、それもわかりやすくするためだったり、動画収録の時点では気づいていなかったところを指摘することで視聴者にもどかしさを与えないようにしているのだろう。
ここまでで、なんとなくゲーム実況の動画配信者として「失敗」を回避するための方法は見えてきた。
逆に言えば、ある種の「成功」をしているゲーム実況者ならば大抵はしているであろうことが、ここまでのこととなる。
もちろんスタイルの違いもあり得るだろうし程度の差もあるだろうが、最低限するべきこと、するべきでないことはわりと共通してくるように思う。
ただ、これだけで終わってはわざわざレトルトという実況者だけを取り上げる必然性がない。
従って、ここからはそのうえでレトルトがさらに行っていることを見て、その「成功」の理由について考えていこう。もちろん、そこから我々が何かの参考にできることを探りつつ。
- 先に述べたことの発展形として、リアクションをするということをまず挙げたい。
声が大きいことの他に、やはり人気実況者はリアクションが大きいことが多い。
もちろんタイプによって異なるため、必ずしもこれが「成功」のための絶対条件ではないだろうが、レトルトの実況ではリアクションが大きい。いや正確には、リアクションの振り幅が広いと言うべきだろうか。
おそらくベースにあるのは芸能人や芸人の喋りだろう。
その中でも個人的に近いと思うのは、一人でのロケ番組だ。
周りの景色などから注目すべきものをピックアップし、そちらに視聴者の意識を引きつけつつ注目すべきポイントを説明しながらも、そこに笑いを入れたりして、しかしそこで止まらず次へ進める。
ゲームの場合は景色よりも注目すべきポイントがわかりやすいことが多いとは思うが、その代わりに制作者の意図が如実に表れる。
だから注目すべきものを見つける能力よりも、どちらかと言えば見つけたものにちゃんとリアクションするという能力のほうが重要になる。
実際、レトルトは結構ゲーム内のできごとを見逃すことも多いが、逆に言えば見逃したことに視聴者が気づけないケースはあまりない。それは、見つけたものに逐一反応しているがゆえだ。
リアクションが視聴者にとってなぜ重要か。
それは、レトルトという人物を好きであれば、その喜怒哀楽の感情が見えてくる動画であるほうがいい。その中でもポジティブな感情が多いほうがより良いだろう。
楽しい時間を過ごしたいとき、ここなら楽しくゲームをしているレトルトが見れる。それに共感したり、あるいはミスをしているレトルトにツッコミを入れながら眺められる動画はレトルトという人物に好感を抱いている視聴者であればそれは楽しいはずだ。
一方で、レトルトをそれほど知らず、ゲームに興味がある視聴者もいる。
初見のゲームであればレトルトの素直なリアクションをほとんど違和感なく見ることができるだろう。動画のテンポが良く、プレイも上手すぎも下手すぎもしない。
まあ実際のところ、レトルトはゲームプレイに関して器用なほうだとは思う。つまりここに関しては視聴者側の要求水準が結構高いのだけれども、そこにレトルトは合っているということだと思う。そもそも視聴者にゲーム好きが多いために、それなりに上手くないとストレスを感じられてしまいやすいということだ。
ともかくそのゲームを初めて見る視聴者にとって、レトルトの動画は違和感が少なく見れる。
ただ、そのゲームもしくはそのゲームの実況動画が好きで、つまり特定のゲームの実況動画の中からレトルトの動画を選ぶ場合も多いだろう。
その場合はレトルトという人物をあまり知らないことも多い。
この話は先ほどもしたが、リアクションという観点からもう一度考える。
人物ではなくゲームを重視している視聴者にとって、レトルトのリアクションはどうなのかという点だ。
レトルトの実況は芸人的だ。驚くべきところで驚き、笑うべきところで笑い、ツッコむべきところでツッコむ。
これはゲーム製作者の意図に沿うというだけでなく、ゲームに意図せず生じてしまったツッコミどころや難点、面白いポイントを指摘していくことも含む。
要するにレトルトの実況はゲームを殺して自分の存在感を主張するのではなく、ゲームを生かす実況なのだ。
そもそもゲームはゲーム自体として本来完結するように作られていることも多い。余白があったとしても、ゲーム実況用に作られているなどということはまあない。
であればほとんどの場合、ゲーム実況者などは必要ないはずなのに、その需要は実際にある。
その理由の一つが、そのゲームが実際にどのように楽しまれているのかが実況者によって見える、というところだと思う。
視聴者は知りたいのだ。自分が面白いと思ったゲームを、他の人も面白いと思っているのかどうかを。
だからリアクションが重要になる。何が楽しいのか。どこが面白いのか。ここが重要だと感じたその直感が、彼にも働いたのかどうか。
このゲームが面白いと思うことを、彼のリアクションが肯定してくれるのだ。
- そして最後に指摘しておきたいところは、ゲーム中に独自の目標を設定するという点だ。
これが重要となってくるのは、主には同じゲームの続きを何回も上げていくという、シリーズものとなる。
何をするのかという目的がそれほど決まっていないゲームや、目的以外でできることが多いゲーム、あるいは選択によっていろいろな変化が起こり得るゲームなどで、この手法が生きる。
レトルトはこのゲームで何を目的としているのかを言う。
そして、だったらこのときはどう動くのか。それが達成されていっているのか、まったくうまくいっていないのか。
それらを視聴者に言い続けることで、視聴者の興味の対象が増えることになる。
達成できてもできなくてもどちらにしても動画は楽しくなる。なぜならどちらにしてもレトルトはそのリアクションをする。視聴者はその声を聞き、そこにある感情を受け取る。しかしもし彼が悔しがっていたりしても、その声は暗くはない。前向きなのだ。
注意しなければならないこととしては、その目的を優先しすぎるあまりゲームを蔑ろにしてしまうことだろう。だからこれはあくまでもサブクエストであって、主目的とすり替わってしまってはならない。
しかしこの独自の目標を設定するという手法は、ゲーム実況者にとってかなり有効だと言うことができる。
なにしろその目標が、実況者自身の個性を反映させるものになる。
今までの文章を読まれた方ならわかると思うが、ゲーム実況者というのは本人がど真ん中に立ってしまうと、ゲーム自体のファンからはそれほど好かれない動画になってしまう。
だからゲームを生かすための細かいスキルや手法を積み重ねていくのが大切になるが、これだけではゲーム実況者はただひたすら器用にリアクションをしながら器用にゲームできる人でしかなくなってしまう。
もちろん実際にはそのやり方には個性が表れてくるだろうが、それ以上の実況者本人の性格や趣味などを明示するのは、なかなか難しい。
挨拶などで色を出すなどもあるが、それだけでは弱い。かといって合間合間に個人的なエピソードトークを話すのも、多すぎるとテンポが悪くなり視聴者の中にはそこにストレスを感じる場合もあるだろう。
そこで、その実況者の個性にあった目標設定があれば、ゲームの流れを邪魔することなく本人の色を出すことが可能になる。
もちろん最初から自由度の高いゲームをしていれば自然とこの人ならこういうゲームならこうする、というのが表現できるのだろうし、レトルトもそれはやっているが、一見してそうではないゲームにそれを持ち込むことで、彼は彼自身がそのゲームを実況するということに関して意味を付与しているのだ。
そこにはレトルトのセンスが表れる。そのセンスが好きになった人は、別のゲームをしているレトルトも見たくなる。
その視聴者は、レトルトのことをただの器用な実況者だ、などとは思っていない。
もっと積極的に、「面白い人」であると感じているはずなのだ。
ここまでレトルトについて、というかゲーム実況者について考察してきたが、そろそろまとめに入ろうと思う。
ゲーム実況者にもいろいろなタイプがいる。だからレトルトの手法だけが正解だとは思わない。
しかしレトルトの実況スタイルは、非常にゲームに興味のある一般的な層に近いところを意識したものであるように感じられる。それでいながら幅広い。
要するに多くの人にとって見やすい、受け入れられやすい動画であることを意識したスタイルだということだ。
この言い方がいいのかどうかはわからないが、非常に「一般大衆向け」という印象だ。別の言い方をするならば「普遍的」。
明るく楽しく、ツッコみはするが毒は少なく、自分を主張しすぎず、しかし抑えすぎもしない。
このバランス感覚はそうそう真似できない。
実際、レトルトは年季も長い。その間に培ってきた経験から構築されたやり方でもあるのだろう。
その有効性は見れば明らかだ。
それにしても、ゲーム実況動画というのは不思議なエンタメだと思う。
もともとゲームは一人でやるか、友達と一緒にやるものだった。
一人で集中してするのも、友達と騒ぎながらするのも楽しい。
だがゲーム実況動画は、視聴者が同じゲームを同時にしているわけではない。
ゲームを製作する側も実況者を想定してゲームを作る発想など持ちようもなかっただろう。
今やゲーム実況は一つのジャンルだ。
きっと、好きなゲームを好きな人がしているのをただ見たい、という欲求があることに気づいた人がいるのだろう。
なぜならそれが楽しいからだ。実況者が楽しんでいる姿が楽しいのだ。
実生活において誰かとゲームをするという機会は、特に大人になってからは少ない人のほうが多いだろう。まったくないのも珍しくはないはずだ。
それでも昔、友達と一緒にゲームをして大騒ぎしていた記憶がある人もいるだろう。
あるいは実際にそれはできなくても、友達とゲームをするのがどのような感じなのかを思い描いていた人もいたはず。
自分自身でプレイせずとも、その近くで見ているだけでも、きっとそれは楽しい。
ゲーム実況者とはつまり「ゲーム友達」なのだ。
だからこの文章の終わりに、ここまで書いてきたからこそ、筆者としてはこう言うのが最も良いのだろうと考える。
あなたのゲーム友達に、実況者レトルトはいかがだろうか、と。