手をのばして綺羅めく星光|ナユタン星人『太陽系デスコ』歌詞解釈・考察




今回は「ナユタン星からの物体Y」の七曲目に収録されている『太陽系デスコ』の歌詞について考えていく。

この曲も過去に考察した曲と関係がありそうな歌詞だ。

歌詞自体は歌詞カードかネット検索かでなんとかして見てほしい。

これから歌詞の解釈をしていくが、具体例をあげることはあっても基本は抽象的に捉えていきたい。

また、歌詞の一部分を抜き出してその意味などを考察しながらひととおり解釈した後に、改めて全体を考察するという形式を取る。

ここで書くのは筆者の「思考」そのものだ。あまりに的外れだと思われるような解釈ははずしておくが、「答え」だけを書くということはしないしできない。断定的に言っていたとしてもどこまでいっても推測でしかないためだ。しかしもちろん、他の解釈を否定するものではない。

そして敬称は略させていただく。

というわけで、考察を始めよう。

「あの一等星の」~「絡まったステップで綺羅めいて、星ッ!」

まずは「一等星」だが、「天体の明るさを表す等級においてある範囲の明るさの恒星」のことだ。「二等星」だとか「三等星」だとか。数値が小さくなるほど明るいので、「一等星」は「明るい星」と言っていいだろう。

「さんざめく」は「にぎやかに騒ぐ」という意味らしい。ということは「さんざめく光」とは「にぎやかに騒ぐ光」ということになる。

どういう表現なのかを考えてみたいところではあるが、「さんざめく光」という表現は他のアーティストの歌詞でもあるらしい。もちろん同じ使い方とは限らないが、こういう普段は使わないが歌詞では聞くようなフレーズを調べてみると、どこから影響を受けたのかを推測できるかもしれない。

ともあれ、「光がにぎやかに騒いでいる」というより、「にぎやかに騒ぐように瞬く星の光」という表現のほうがイメージしやすいだろう。それが「一等星」であるのなら、たくさんの明るい星が瞬く夜空がイメージできる。

そこで、「あなたとダンスを踊ろうか」とある。この曲には一人称が出てこないが、言葉遣いからすると女性的な印象が強い。そして後で述べることになる他の曲の歌詞との関連も考え、今回の考察では語り手を「わたし」としておくことにする。

次の歌詞の「我が太陽系」の「我」を一人称として捉えて考察していくのも変な気がするし。

とりあえず「わたし」としておくが、「太陽系」とは何なのか。「我が太陽系の 鼓動にあわせて」とあるので、「鼓動」するものと考えるとまず頭に浮かぶのは「心臓」であり、あるいはそこから連想できる「心」や「感情」などだが、はっきりとはわからない。

とにかくその「鼓動にあわせて 絡まったステップで 綺羅めいて、星ッ!」とある。

「ステップ」が「絡まっている」のは、現状考えられるのは「ダンスが上手ではないから」という場合と、「一人ではなく二人でのダンスであることを表現しているから」の二つのパターンだ。両方の意味が重なっている可能性も低くないだろう。その場合は「二人でダンスをしているが息があまり合っていない状態」ということになる。

ただ、その「ステップ」、「ダンス」をすることで「星」が「綺羅めく」というふうに読める。

「きらめく」は漢字にすると通常は「煌めく」となるのだが、「綺羅」という単語もある。そちらは「美しい衣服」「外見が華やかなこと」「栄華をきわめること」のような意味だが、そこから「綺羅、星の如し」という「地位の高い人や明るいものが多く並ぶ様子の例え」から、「綺羅星」という語ができたらしい。それから「きらきらと光り輝いている無数の星」のことを「綺羅星」と呼ぶようになったようだ。

そう考えると、「一等星」と繋げて考えることができそうに思える。

つまり「一等星のさんざめく光」とは、一つの星の光のことではなく「明るい星空」のことであり、そこで「ダンスを踊る」ことによって「星」が「綺羅めく」。つまりは「きらきらと輝く」。

ということは、「星」は「踊っている人々」のことを示していて、その「踊っている一等星みたいに明るく輝いている人たちのように、わたしたちも踊って輝こう」というのが、この最初の部分の歌詞の大まかな意味合いなのだと思う。

まだわからないことはあるものの、いったんはこれで先に進む。

「ランバダ ルンバ」~「光度はないわ」

「ランバダ」は南米発祥のダンスおよび音楽。「ルンバ」はキューバのアフリカ系住民の間から生まれたリズムやダンス、音楽。日本では社交ダンスのイメージが強いかもしれない。

共通しているのは「音楽」であり「ダンス」であり、ここは捉え方次第なところもあるが、「男女のペア」であることだろうか。続く歌詞に「ふたり」ともあるので、この「ふたり」が男女であることを示していると考えることもできる。

「ランデブー」は「待ち合わせ」や「デート」の他に「宇宙船や人工衛星がドッキングのために出会うこと」という意味もある。が、歌詞の意味としては前者の「待ち合わせ」あるいは「デート」のほうだろう。

このときの「宇宙」が今までのナユタン星人の歌詞のように「心」というような意味で考えていいのかどうか、今回の歌詞だと少しよくわからないところがある。しかし「心」と捉えてもおそらく問題はないはず。

あるいはそのままどこかの「空間」と捉えてファンタジーというかSFの物語として考えてもいいのだろう。その場合はおそらく「宇宙空間で星々(人々)がダンスする物語」みたいな感じになりそうだ。

しかしここでは何とか広く、かつ現実としても考えられるように捉えていきたい。とするならやはり「宇宙」を「心」と考えるのが良さそうに思える。

「妄、患って」はシンプルに「妄想が頭から離れない」ような感じで考えていいだろう。それにより、「連夜眠れない」。これも「毎晩眠れない」とそのまま捉えていいはず。

この後で「あなた」という歌詞が出てくるので、「毎晩妄想が頭に浮かんできて眠れない」のは「わたし」のほう。どんな妄想かといえば、「ふたりの心が一緒になるようなこと」であり、それが「ランバダ」や「ルンバ」に例えられているのなら、同じく例えとしての「ダンス」でもあるのだろう。

要はこの曲の歌詞における「ダンス」は「ふたりの心が一緒になること」あるいは「そのための行為」を主に示しているのではないかと思う。

次の歌詞の「星座」はここだけでは難しい気がするのでいったん飛ばすことにする。

「どんな一等星も あなたに代わる光度はない」とあるので、やはり「一等星」は一つではなく無数にあるらしい。そしてこの歌詞は「あなた」が「光っている」という解釈も含んでいるので、「一等星」は「人」のことだとわかる。「光度」はだいたい「光の強さ」という意味で良いと思われるためだ。

歌詞の意味としては「どんなに明るく光っている星(人)よりもあなたは明るく輝いている」という感じだろう。

「校舎の裏」~「今は興味がないわ」

「校舎の裏」は重要な歌詞だ。『アンドロメダアンドロメダ』と『ハウトゥワープ』にも同じ歌詞がある。そして『エイリアンエイリアン』のときの考察で、この三曲に繋がりがあるのではないかと述べた。要は一つの繋がった物語として解釈できるのではないかということだ。

『アンドロメダアンドロメダ』では「あなた」と逢えない

わたしがあなたへ『ハウトゥワープ』

あなたもわたしも宇宙人|ナユタン星人『エイリアンエイリアン』歌詞解釈・考察

そしてここへ来ての「校舎の裏」という歌詞なので、『エイリアンエイリアン』からさらに物語が続いてこの『太陽系デスコ』という解釈も成り立ち得る。

その場合「校舎の裏」は、この物語における始まりの場所と言っていい。物語はどれも恋愛についてなので、つまりは「恋の始まりの場所」ということになる。「あの日、あなた見つけた 奇跡」というのはそういう意味と考えていいだろう。

その「奇跡さえ 今も離れない」というのは、普通に考えると「頭から離れない」あるいは「心が離れない」というような意味に思える。ただ、少し前の歌詞で「あなた」に対して「光度」という言葉を使っていることから、例えば「(眩しくて)目に焼き付いて離れない」のような表現の仕方とも考えられそうだ。意味は似た感じだが、なんとなく表現方法としてしっくりくる気がする。

「繁く」は「回数が多いさま」、「しばしば」という意味らしい。なので「冥王星が隣にしばしば見える」けれども、「生憎、今は興味がない」となる。「冥王星」が何を意味しているのかがわからないとどうにもならない歌詞だ。

「冥王星」はもちろん「太陽系」にあるが、「水星」だとか「天王星」だとかの惑星ではなく、準惑星となっている。あとは「太陽」からかなり遠いというのと、暗い星というイメージもあるだろうか。このあたりの何かしらと関連させていると思われるが、今の時点ではよくわからない。

ただ、「興味がない」理由は「あなた」に視線が向いているからだろうという推測はできる。

「星が舞っちゃって」~「気づけば彼方―――」

「星」が「光っている人」みたいなことであり「舞う」が「踊る」と同じような意味だとすれば、そのまま「ダンスをしている人がいる」ということになる。「胸が鳴っちゃって」はいわゆる「胸が高鳴る」という言葉と同じ意味だろうから、繋げると「ダンスをして胸が高鳴る」となる。

あとは「舞う」には「舞い散る」などの言葉にある、動きながら場所も移動するイメージがある気もするので、このときの「星」つまり「人」は、他に同じように踊っている人たちのことも含むのかもしれない。

そして「気づけば彼方」。「彼方」は「遠く離れた場所や方向」だ。となると「気が付いた時には遠くへ行っていた」というような意味か、あるいは「気が付いたときには遠く離れていた」というような感じか。

解釈の仕方が難しいのだが、おそらくここは「気が付いた時にはあなたから遠く離れていた」のような意味なのではないかと思う。

そう思う理由は歌詞全体の流れなのだが、それを整理するためにはとりあえず先に進むしかない。

「あの一等星の」~「交わった感度で 綺羅めいて、星ッ!」

前半は冒頭の歌詞と同じだ。後半にまた「太陽系」が出てくるが、ここではその「法則に誘われ 交わった感度で 綺羅めいて」となっている。

「交わった感度」はおそらく「一緒にダンスをして受けたいろいろな感覚」みたいなことだと思う。それによって「星」が「綺羅めく」、もしくは「綺羅めいてほしい」。「五感」というよりは「心情的な変化を起こすような感覚」もしくは「ふたりの関係が揺れ動くきっかけになるような感覚」という感じだろうか。

「太陽系」については「鼓動」と「法則」がヒントにはなるはずだが、わかりそうでわからないというか、どうもはっきりしない。ここでも見送ることにする。

「オー・オ・オー!」~「あなた侵光系!」

「オー・オ・オー!」は置いておいて、「星間線」だ。調べてもはっきりとした意味は出てこなかったが、字面で見るなら「星と星を繋ぐ線」と捉えられる。それを「絆いで あなたに届け」と。「絆ぐ」の読みは「つなぐ」だが、一文字の「絆」なら「きずな」だ。

つまり「わたし」と「あなた」を「星」と見立てていて、ふたりの「絆」を結び、想いを届けたいのだと考えられるだろう。

その「想い」があるのが「宇宙の果て」。今までの解釈を引き継ぐなら「心の奥」みたいなことだ。「宇宙の果てから」となっているので、「わたし」側の心の内のこととなる。

そしてそこから「あなた」に「侵光」する。こういう言葉自体はないが、おそらく「侵攻」を変化させた表現だろうと思う。要は相手へ攻め入ることなわけだが、もちろん攻撃しに行くわけではなく、「あなたにわたしの光を届かせる」というような意味だろう。

このあたりのことから、前に出てきた「星座」の意味もなんとなくわかる気がする。

要は「星間線を絆いだもの」が「星座」であると考えられるため、すでに通じ合っている人たちのことを示しているのではないだろうか。「カップル」みたいなことだ。

「大体のダンスは」~「太陽系のデスコで」

「大体の」と頭につくときは大抵一般的な話をしていると思うので、おそらくこの曲の歌詞の場合は主に恋愛における「ダンス」の話だ。

ということは大雑把に言えば「恋愛における立ち振る舞い」が「ダンス」という表現になっていると考えることができるだろう。

そう考えれば、「星が光り標となる」というのは、「恋愛によって光っている人を参考にする」みたいなことで、繋げると「一般的に恋愛での立ち振る舞いは、すでに恋愛している人を参考にしてやっている」というような意味になる。

そうすれば「未体験なステッポで」という歌詞にも繋がる。人の恋愛は見ているが自分ではしたことがないから見様見真似でするしかない、という状態だ。「ステッポ」は「ステップ」と同じことのはずだが、この曲の歌詞に「ステップ」もあるのが悩みどころだ。「デスコ」も同じように気になるが。

なんとなく感覚的には拙いような印象を受ける言い方なので、そういう雰囲気を表現するためと捉えているのだが、合っているかどうかはわからない。見て真似しているからあんまりうまくなかったり間違えてしまうこともあるということを言い方で表現しているのではないか、ということだ。

「大胆なスタンス」は意味的にはそのまんまだと思う。心の中のことはともかく、姿勢としては大胆に行動するということ。

その行動というのが、「周回軌道上なぞる」ということらしい。

先ほどの歌詞の解釈から繋げるように考えるなら「他の人の恋愛を参考に行動する」ということになる。

ただ、ここは別の解釈もできると思う。

まず「星が光り標となる」と言っている部分だが、「光っているあなた」を「星」とするなら、「恋愛における相手の光が自分を導くものになる」というような解釈も可能だ。

この場合、相手への感情などが「ダンス」つまり「恋愛における立ち振る舞い」を決定するということになり、それが初体験であれば当然「未体験のステッポ」ということにもなる。

そして「周回軌道上」とは「恋愛の相手」もしくはその「光」の軌道のことであり、そこを「なぞる」ということは「追いかける」ことを意味するのだと思う。

「あなたの光に導かれてその後を追っていくことになる」という、もう一つの「ダンス」の一般化の仕方だ。

もしかしたらこのあたりのことが「太陽系のデスコ」という歌詞やこの曲のタイトルに繋がるかもしれない。

ただ結論を出す前に先に進もう。

「宙、揺蕩って」~「今はどうでもいいわ」

「揺蕩う」には「ゆらゆらと揺れ動いて定まらない」や「心が動揺して定まらない」というような意味がある。

「いつかふたり忘れる 言葉さえ 今は求めたい」と「宙、揺蕩って」が意味的に繋がっているのかどうかがやや微妙だ。

つまり「心が動揺しているから何らかの言葉を求めている」のか、それとも単に「ふたりが忘れてしまうであろう何でもない言葉を求めるような気分である」と言っているのか、どちらかに決めてしまうことができそうにない。

ということは両方なのだろうと解釈したほうがいい気がする。

要は「求めている」のは特定の言葉ではなく「言葉」そのものなのだろう。「言葉さえ」という言い方には、「せめて」というニュアンスが感じられるため、なんとなく良くない状態にあるような雰囲気だ。

「今は」もそうだ。つまり「良くない状態になってしまっているために、何でもないことでもいいから今はせめて何かの言葉が欲しい」ということ。

良くない状態というのが具体的にどんな状況なのかはわからない。ふたりの関係性なのか、「わたし」の心の中のことなのか。いずれにしても「何でもない状態」を求めてしまうほどには良くない状態にあるということにはなると思う。

「超新星」と言えば恒星などが大爆発するあれが頭に浮かぶが、その後に「願う」と続くことと「超新星爆発」とは言っていないことからすると、「強烈な光を放つ新しい星が現れること」のように捉えればいいのだろう。

それを願っているのは「暮れた世界」。「暮れる」は「日が沈んで暗くなること」なので、「世界」のほうも良くない状態に向かいつつあるように感じられる。だから「超新星」を求めるような雰囲気が漂うことになるわけだ。

これが実際にそういう変化が起こっているのか、それとも単に「わたし」からはそう見えているだけなのかはわからないが、いずれにしても自分の抱えている問題があるため、そういった「世界」の状況も「不思議と、今はどうでもいい」という心情になっているのだろう。

「何もなくたって」~「星は巡って―――」

ここでの「星」は他人を含む「世間」や「世界」のことも言っている気がする。要するに「良くない状態であろうと何もしていなかろうと世間や世界は動いているし時間も過ぎていく」というようなことだろう。

「あの一等星の 届かぬ光は」~「手をのばして!」

一つは、ここでの「一等星」が「あなた」であると解釈する場合だ。

そのとき、「届かぬ光」は「遥かな彼方で」「綺羅めいて」はいるが「わたし」には遠くなりすぎていることになる。

「光が届いてはいないが光ってはいる」ということは、「どこかにあなたの光があることはわかっているがどちらへ向かえば良いのかがわからない状態」、それこそ「標を見失った状態」と考えることができるだろう。

「わたし」は常に「あなた」へ、言ってしまえば自分の気持ちを届けたいと思っているので、そのための行動が失敗してしまったことでどうすれば良いのかがわからなくなっているのだろう。

ここまでの部分で、もう一つの解釈は「一等星」が「無数の星たち」のことである場合。

こちらの場合は「恋愛における他の人たちの道しるべは見失ったが、似た危機を乗り越えた人たちは確かにいる、それも無数に」ということを示していることになる。つまり打開策はあるはずだと暗に言っているわけだ。

この二つの解釈を合わせてからの、「我が太陽系の 法則も外れて」「『それでもいいさ』 手をのばして」。

つまり「我が太陽系の法則」というのは「自分の中にあるどこかから得た恋愛の知識や恋愛感情からくる衝動や行動」のことなのだと思う。

あるときには誰かの行動を参考にし、別のときには自分の衝動のままに動くという、そういった自分の中の「恋愛におけるさじ加減」がこの曲の歌詞でいう「太陽系」なのではないだろうか。

単にこうすればいいという知識だけのものでないから冒頭にあった「我が太陽系の 鼓動に合わせて」も感情的な行動をやや優先しているようなときには当てはまる気がする。「合わせて」という部分が、感情を優先しつつもコントロールしようとはしているニュアンスなのではないかと思う。

つまりここの歌詞は、今までその自分の中の「さじ加減」に基づいて振る舞ってきた「わたし」がおそらくはそれが原因となる失敗をしてしまったために、その「法則」から外れた行動を取る勇気を出して「手をのばした」ということになる。

今までの、おそらくある程度はうまくいっていたはずの「法則」を捨てるのは怖いものだが、このままではいけないのであれば、それをしなければならない。そのときの心情が『それでもいいさ』なのだろう。

「さあ、幾星霜と」~「探そうか」

「幾星霜」は「苦労を経たうえでの長い年月」。言葉の中に星が回ることから来ている部分があるのでぴったりな単語という感じがする。

そしてそういうところからも考えると、単にふたりの間の危機を乗り越えて、ということだけでなく他のいろんな人たちの「宿した想い」の一つに自分たちもまた加わるということも言っているのかもしれない。

そういった背景がある中での、「あなたのすべて求めようか」。

「いつかふたり忘れる言葉さえ今は求めたい」という歌詞と比較すると心情の変化は明らかだろう。

「光年」は「光が一年かかって到達する距離」。それほど長い距離であるから「広大な旅路」という表現になっているのだろう。

「あなたの心が遠くてどこまでいってもわからない」ということでもあるのだが、それでも「あなた」へ向かって進んで行く、というのが一つの解釈。

もう一つは「ふたりでどこまでも行こう」というもっとストレートな解釈だ。

どちらにせよ、「比翼の恋理を探そうか」と続く。

「比翼連理」を調べると、「男女の情愛がきわめて深いことのたとえ」とあった。「連理」が「恋理」になっていることも含めて、かなり情熱的な印象。

思い切ったことをした後なのか今しているところなのか、あるいはこの後するのかはわからないものの、心情的にはもう振り切っているように思える。

「あの一等星の」~「綺羅めいた、星ッ!」

前半は前と同じだが、後半が変わっている。

「水金地火木土天海」は惑星の並びだろう。「太陽系」の。

そして「銀河」は以前解釈したときと同じ使い方であれば「恋心」。ふたりの「恋心」あるいは「恋」そのもの、もしくは「ふたりの恋愛関係」についての話をしている感じに思える歌詞だ。

最後に「綺羅めいた、星ッ!」となっているので、惑星も「星」と捉えていることになる。これまでの解釈では「星」は「人」と考えていたので、ここの歌詞はそのままでは受け取れない。が、今までの考察がそう間違っていたとも思えない。

なので今一度考えてみよう。

おそらくは「星」は「光を放つもの」であり、「光」は「主に恋愛におけるその相手への気持ち、想い、感情であり、そこからくる行動」のようなことだと思われるため、「星」自体は「人が抱く様々な気持ちそのもの」を示すのかもしれない。

そう考えれば惑星はそれぞれ別の「気持ち」のことを示していて、「太陽系」とは「いろいろな気持ちが同時に存在している心」のこととなる。

例えばだが、「近づきたい気持ち」と「嫌われたくない気持ち」はどちらも「太陽系」の中にある。だから実際に行動するときにはいわゆる「さじ加減」が生じる。「嫌われない範囲内でアプローチをする」といった感じ。そういった自分の中での思考や行動のパターンを指して、「太陽系の法則」と言っているのではないか。そう考えれば辻褄は合いそうだ。

歌詞全体の前半のほうにあった「冥王星」も、この解釈ならなんとなく意味が見えてくる気がする。おそらく「小さな不満もしくは不安」があって、それが歌詞の物語中の失敗に繋がっていくのだろう。

しかし物語の最後には、様々な「気持ち、想い、感情」がふたりの「恋心」の中で「綺羅めいた」。つまり「光を放った」ということで、それはつまり感情を行動にできたことになる。自分で作った「太陽系の法則」を自ら破り、様々な感情を伝えようとしたのだろう。

ポジティブな終わり方だと思うが、関係性としてどうなったのか、確実なことは言えなさそうだ。「わたし」のほうの心情は確実に変わっていると思うが、「ふたり」の関係性については各々の受け取り方次第、という感じだ。

悪化したということはなさそうだが。

最後の歌詞は同じ部分が前にあったので、ここで一通りの解釈をしたことになる。

今回は流れに沿ってかなり考察や解釈ができた気がするので、あとはタイトルと全体をまとめよう。

タイトルについて

「デスコ」はまあ「ディスコ」のことだろうが、イメージはミラーボールのあるダンスホールみたいな感じだ。

光がなんとなく星空っぽい印象なのが発想の一部にはありそうな気もする。

表記の「デスコ」が歌詞中の「ステッポ」と同じニュアンスだとすると、「太陽系」という言葉と合わせて、「主に恋愛におけるこうすれば良いということが、わかっているようでわかっていない様子」とでも解釈すれば良いだろうか。

「デスコ」そのものが何を意味しているか、と考え出すとかなり難しくなるが。

現実の場所というより、「無数の人々が恋愛における感情を表現する場面」のことなのだと思う。

まとめ

「わたし」が抱いている「あなた」への気持ちを届けて「あなた」と心を絆ごうとする「わたし」の物語。

そのために自分の中での「正解」の恋愛アプローチをしようとしたが、あるときそれだけではうまくいかなくなり、何でもない言葉を交わすのも難しくなるほどになってしまう。

そこで自分の中の「正解」から外れてでも「あなた」を求めようと決心し、抱いているいろんな気持ちを出すことにした、というのが『太陽系デスコ』の大まかな物語と言えるだろう。

実際に行動したのがいつなのかは不明だし、結果どうなったかも解釈次第で変わってくるが、個人的にはやはりとてもポジティブな終わり方だと思う。

『アンドロメダアンドロメダ』から始まった物語と考えると心情の変化などいろいろ感慨深いが、これからの物語もまた楽しみになってくる。

終わりに

解釈を始めるまでは恋愛に関する曲であるということ以外何一つわかっていなかった曲だ。

だからこそ、どうにか自分の中では解釈することができて良かった。

歌詞後半の「幾星霜」あたりからの言葉選びのセンスが特に好きな部分。

さて、ナユタン星人の曲では次は『ディスコミュ星人』ということになるのだが、考察するべきなのかどうかの時点で悩む歌詞だ。

でもここを飛ばしたくはない気持ちはある。そして逆に難しいんじゃないかという懸念もある。

ひとまず今回はこれで終わろう。