今回は「ナユタン星からの物体X」の九曲目に収録されている「ロケットサイダー」について考えていく。
この曲はナユタン星人の二つ目の動画として公開されている。一つ目の「アンドロメダアンドロメダ」とは受ける印象が結構違う。なんというか、ストレートなJロックの風情を感じる。
歌詞自体は歌詞カードかネット検索かでなんとかして見てほしい。
これから歌詞の解釈をしていくが、具体例をあげることはあっても基本は抽象的に捉えていきたい。
ここで書くのは筆者の「思考」そのものだ。あまりに的外れだと思われるような解釈ははずしておくが、「答え」だけを書くということはしないしできない。断定的に言っていたとしてもどこまでいっても推測でしかないためだ。しかしもちろん、他の解釈を否定するものではない。
というわけで、考察を始めよう。
「ナユタン星からの物体X」の歌詞カードの中にある「星人ひとことメモ」によると、「サイダー」はいわゆる飲み物の「cider」と「sider」という、「隅っこにいる人」「日陰者」のような意味をかけているとのこと。
で、「ロケット」と飲み物の「サイダー」からの連想ゲームで出てくるのはやはり、ペットボトルロケットだろう。
しかしそうだとすると、曲の歌詞にも連想ゲーム的な要素が含まれていそうな気がする。例えば「サイダー」からの「炭酸」、そこから「気泡」、さらにそれが弾けるイメージからの「一瞬で消えてしまう儚さ」、というような。
要は、一筋縄ではいかないだろうということだ。
まあ言ってても仕方ないので、歌詞に入ろう。
「拝啓」「人類は快晴なんか失くして」
「大抵が最低です。」「廃材置き場の毎日で」
「拝啓」は手紙の最初に書く言葉で、つつしんで申し上げる、というような意味らしい。
この二文字と「大抵が最低です。」の部分で、この曲の歌詞の解釈がとんでもなく難しそうだとわかる。だって、歌詞に「。」がついてる。
今まで解釈してきた「ナユタン星からの物体X」の曲の中で初めての表現方法だ。
つまりこの曲の歌詞は手紙なのだということになる。まあメールでもいいかもしれないが。
しかし、全部の文末に「。」がついているわけではないのがさらに問題だ。それに歌詞の中に「」が多い。誰かのセリフまで入っているわけで、もう解釈が難しくなる予感しかしない。
ともあれまず重要なのは何を言っているのかだ。
「人類は快晴」を「失くして」「大抵が最低」なのだそうだ。
「人類」ということは要するに皆だ。「快晴」を「失く」すということは、雲行きが怪しいということだろう。良くない状況、良くなくなっていくような状況と捉えることができる。
というか、「大抵が最低」とまで言っているのだから、良くなくなっていくどころかほとんどもうどん底、みたいなことかもしれない。
「廃材置き場の毎日」というのは、つまり「人類」が「廃材」のように、何にも生かされることなくただ日々をやり過ごしているということではないだろうか。
不用品として置いておかれるような状況の「人類」が大半ならば、その人々には「快晴」のような希望はなく、まさに「最低」。
『「衛星都市にいこう」』「あなたは言った。」
『「1.5リットルの現実逃避行計画さ」』
「あなた」のセリフが二つ、だと思われる。「衛星都市にいこう」という提案の理由が、「現実逃避」ということだ。
もちろん「現実」というのは「人類」の「大抵が最低」という状況のことだろう。
そこから「現実逃避」のために「衛星都市」に行く、ということから逆に考えると、「最低」なのは現状主に大都市のような中心地だということになる。
「衛星都市」が中心から外れたところの都市であり、そこへ行くことが「現実逃避」になるのなら、そういうことになるはずだ。
「1.5リットル」といえばやはりペットボトルということになるだろう。
ペットボトルロケットについて調べてみたが、ペットボトルの大きさはこれでなければいけない、ということはなさそうだったものの、炭酸飲料のペットボトルである必要はあるらしい。高い圧力に耐えられるためだとか。
曲タイトルとこのキーワードで、どうやらペットボトルロケットがモチーフに使われていることは間違いなさそうなので、それに基づいて歌詞を読んでいくのがいいだろう。
「乱反射」「世界が透けて」
「サイレンが遠くで鳴った」「もう対流圏界面」
まずは先に「対流圏界面」の意味を調べなければならない。地球の大気圏内にある、対流圏と成層圏の境界領域とのこと。
対流圏というのは気象現象が起こる層であり地表から上なので、普通に我々が生活している領域も含んでいることになる。
成層圏はもちろん地表からさらに離れているわけなので、つまり地球から宇宙の方へと飛んで行くというイメージと重ねられるような物語であるらしい。
「サイレン」といえば警報などのあれのことだろう。この場合の「遠く」とはおそらく地表の方向だろうから、地上で何か大きな危機があったのかもしれないが、もはや自分とは関わりの少ない物事となっていっている。もしくはそう思っているということだろう。
手前の歌詞の「乱反射」。そして直後の「世界が透けて」という歌詞は、素直に意味を取ろうとすると思いっきり矛盾している。
なぜなら光が乱反射しているということは要するに透けていないという意味になるからだ。
ということは、言葉が並列に並んでいるのではなく状態の変化を言っているのかもしれない。
つまり、「乱反射」していた「世界が透けて」見えるようになった、という意味合いなのかもしれない。
なぜそうなったのかは空へ向かって移動していくイメージと合わせて考えると、「世界」を中から見ていた状況から外へと離れて遠くから見られるようになったからではないだろうか。
つまりここの二行の歌詞は、まさに中心地というか大都市というかという場所から離れていっている最中で、「対流圏界面」を越えるところ。
ちなみにだが、この「対流圏界面」は、「水星のワルツ」における「ヘリオポーズ」と同じような意味合いではないかと思う。そこから先は生活の様式が変わるような。
ところでまだサビまで行っていないのだが、長さがすでにやばい。いろいろ不安になってくるが、とりあえず進むしかない。
「週末、ぼくらは月の裏側で」『「なんにもないね」なんて、くだらなくて笑いあうだろう』
「月」は地球の衛星なので、おそらく「衛星都市」そのものだ。しかしさらにその「裏側」なので、その中でもさらに人気の少ないところのイメージだろうか。
それこそ「なんにもない」ような場所を考えればいい。
そこで何でもないことで笑いあう「ぼくら」とは、これまでの歌詞から読めば、「ぼく」と「あなた」の二人ということになるだろう。
「それからぼくらは恋におちて」「この旅の果てなんて」「わかっていたって」「知らないふりさ」「今なら」
「週末」「笑いあうだろう」に続いて「それから」ともある以上、未来の話をしていることになる。
もちろん「週末」という言葉は今がその週でなければ出てこない言葉なので、ほんの数日後につく場所での未来なわけだが。
「旅の果て」が重要なワードであるのは間違いないが、現時点ではあまりよくない状況になるであろうという程度しかわからない。それを気づいていながら「知らないふり」をしている。
「今なら」、というのは気になる言い方だ。前はそうじゃなかったが今は変わった、というような意味合いにとれるからだ。
感情としては吹っ切れた、というような感じ。
ただ、「今」とはどのタイミングなのか、という問題は残る。「旅」に出ようと計画している段階なのか、それとも出発した後なのか。少なくともまだ到着はしていないだろうが。
キーになっているのは歌詞の中にあったりなかったりする「。」だろうと思う。
ナユタン星人の歌詞で「。」は出てきていない。なら、この曲の歌詞の大部分はいわば手紙の文章という理解でいいのだろう。最初のほうの歌詞で「あなたは言った。」とあるので、文章を書いた相手は「あなた」だ。
その直後に「現実逃避行計画」の話が出ている以上、文章を書いたのが「今」であるならば、それは出発前ということになる。なら、「乱反射」からの二行の歌詞より前の時系列になる。
まあもちろん、どこからどこまでが文章内であるのかを確定できるわけではないし、文章が書かれたタイミングが一度だけであるのかもはっきり断言できるわけでもないが、さすがにこれ以上複雑な構造にしてあるとも思いにくい。
というかそんなことされたら読み取れない。とりあえず「。」がついている文章はすべて同じタイミングで「あなた」に対して書かれた「ぼく」の文章であると考えていくことにするし、文章の流れ上繋がっていそうなら同じ文章の中であると考えておくことにする。とりあえずは。矛盾したら考え直すけど。
「八月の雪が降ったあの日は」「ビードロを覗いたようにみえた」
おそらく「ロケットサイダー」の歌詞の中で一番わかりにくく解釈が分かれる部分ではないだろうか。っていうか実際わからないし。
まず「ビードロ」だが、ガラスを意味するポルトガル語とのことだが、一般的にはぽぴんという工芸品のことだろう。息を出し入れすると音が鳴る。ガラス製。なのでそれを息を出し入れする管の部分から中を覗けば、向こう側が透けて見えるはず。おそらく歪んではいるのだろうが。
ということで、シンプルに歪んでいるようにみえたと解釈しておこう。
何がと言えば、「八月の雪が降ったあの日」だ。
とりあえず「あの日」は過去のことだろうから、ここは過去の回想シーンであるのは間違いない。今が何月なのかはわからないが。
問題はとにかく「八月の雪」だ。その日が歪んでみえた、後の歌詞で「崩壊する都市」とあり、最初のほうの歌詞でも「人類は快晴なんて失くして」とあるので、都市で何かがあり、結果「快晴」がなくなったということになる。
都市まるごと影響を受けるような大事件があったわけだが、現実的に考えるなら経済危機に陥るような出来事となるはずだ。でなければ「都市」という単語は出てこない。
「廃材置き場の毎日」というのがいわゆる失業率が上がっているような状況であるなら筋も通りそう。
そこでこれは解釈というより個人的な連想という感じではあるのだが、もしかしたらバブル崩壊のようなイメージなのかもしれない、と思った。炭酸、気泡ともイメージ的には合うし。
結局「八月の雪が降った」が具体的になんのことなのかはよくわからないままではあるのだが、とりあえず最大限抽象的に捉えるなら、「あり得ないことが起こった」となるだろう。大規模な異常事態が発生した、という意味合いを含んでいるのだけは疑いようがない。
『「ねえ涙がなんか止まんないんだ 昨日から」』「わずかに、崩壊する都市がみえた」
おそらくは「あなた」のセリフ。
わかるのは、異常事態は「あなた」に対しても少なくない影響を与えたということ。
「わずかに」「みえた」という言葉から受けるニュアンスは、都市が「崩壊する」のはその時点より少し先の未来予想という感じ。それを予期したからこその「涙が止まんない」という状態なのではないだろうか。
「それは最後の夏でした」
「夏」というのが実際の季節の描写なのかどうかは微妙だ。それに「最後」が「水星のワルツ」の歌詞での「さいご」と表記が違っているのが重要なポイントだろうと思う。
最期というニュアンスが入っていないということは、個人の死の意味合いは入っていないことになる。ということは「最後」なのは環境や状況の変化によるものなのだろう。
つまり、「八月の雪が降ったあの日」から状況が一変し、結果人類は「快晴」を失くして「夏」も無くなった、という話の流れだということだ。
逆に言うなら「夏」とは「快晴」を意味しているということで、イメージ的には明るい。ならそれ以降は「快晴」も「夏」も無くなっているので、暗いだとか寒いだとかいうイメージになる。
そして「最後」と言っている以上、持ち直していない。
「終末、ぼくらは月の裏側で」「傷つけあうのなんて馬鹿らしくて」「笑いあうだろう」
何より、「終末」の表記の違いが見逃せない。先ほどの「最後の夏」とも意味合い的に通じている。
SF的に考えるなら、世界の滅亡のような雰囲気を感じる単語だが、実際に世界の「終末」が訪れるのかはわからない。が、「ぼく」や「あなた」の実感としては「終末」がもうそこまで来ていると思ってしまうのだろう。
そういった感覚の問題である根拠はやはりここもまた、「あなた」に対する「ぼく」の文章であると思うため。「ぼく」はそう思っているものの、本当にそうなるのかまでは断言できない。
「傷つけあうのなんて馬鹿らし」い理由はごく単純に理解できる。世の中が荒廃しているとすれば「傷つけあう」のは日常的な光景になっているのだろう。
「現実逃避」のために中心地を遠く離れていっているのに、そんな場所でまで「傷つけあう」のは確かに「馬鹿らし」い。笑いあうべき状況だ。
「それからぼくらは恋におちて」「ふたり気付いていたって」「もうね、この夢はさめないよ。」
「夢」は「現実逃避」と通じている。つまり「旅」そのものだ。となると「気付いてい」るのはその「果て」。そしてそれはいわゆる「終末」に関すること。
もし経済的なことであるなら、たとえば困窮していくようなことなのかもしれないが、まあそこまで断定はできるわけもない。
それから、「。」がついている。
これが最後の「。」であることから、なんとなく文章内であるのはここまでなのではないかと思う。
まあそうじゃなかったとしても解釈にそれほど影響はなさそうなので、ここはもう好きに思っておこう。
「そうさ ぼくら 世界の 片隅で」『「失くしてばっか」なんて、心なんて埋まらなくても』
「世界の片隅」=「月の裏側」なのはもう明らかだろう。
何を「失くし」たのかは具体的にはわからない。とはいえ個人の人生や生活にとって重要な様々なものを指しているのだろうということはわかる。総合して考えるなら、抽象的なたとえではあるが歌詞から感じ取れる大きな失くしものといえば、「それまでの暮らし」や「将来」かもしれない。
「何度もぼくらは星を巡るよ!」「拾った銀貨使って」「ジュース買って分けあって飲もう」
『「サイダーがいいな」』
ある意味最も厄介な単語、「星」だ。毎回悩む。だからもう大きく捉える。都市だとか町だとか、あるいは世界とか人生とかを全部またがったような使い方だと思う。
その理由になるのが「サイダーがいいな」というセリフと「星人ひとことメモ」での「隅っこにいる人」などの意味合いにある。
つまり、「ぼくら」は「何度も」「星を巡る」けれども、「星」の中でも「隅っこ」がいいという意味としての「サイダーがいいな」というセリフのように読めるからだ。
もちろんこの「サイダー」は飲み物のほうとも掛かっている。「ジュース」とも書いてあるのだから、それはそうだろう。
あと「銀貨」は百円玉だろう。わざわざ言うほどのことでもないが。
歌詞を通したところで、まとめよう。
「ロケットサイダー」は巨大な危機によって多くのものを失くした「ぼく」と「あなた」が「終末」を予感させられる世界の中で、その片隅へとつかの間逃避して、それでも笑いあおうとする物語だ。
しかしこの曲の歌詞で使われているワードの統一感と意味している内容のバランス感は見事というほかない。
「サイダー」「1.5リットル」「ビードロ」「八月」「夏」「快晴」「ジュース」という学生的な夏っぽいワードに、「衛星」「対流圏界面」「月の裏側」そして「ロケット」という宇宙っぽいワード、それに「崩壊する都市」や「終末」などの世紀末っぽさを感じさせるようなワード。
それら言葉のイメージを使いながら先ほどまとめたような物語を描き、受ける印象は青春という完成度の高さ。まさに「ナユタン星人」的要素の詰め合わせのような歌詞だ。
この曲を一言でまとめようとするなら、「前向きな現実逃避」といった感じになるだろうか。先を考えすぎず、今の環境を離れていったんいろいろ忘れておこう、という。
やはり爽やかそうなワードが多いわりにはすっきりとは言い難い後味のある歌詞だ。だからこそ残る。
さて、次は「ナユタン星からの物体X」最後の曲、「ストラトステラ」。ようやくここまで来た。
「ロケットサイダー」の歌詞解釈で一度派手に心が折れた身としては、気合を入れて臨まざるを得ないところだ。