暗闇の中であっても。『ストラトステラ』




今回は「ナユタン星からの物体X」の十曲目に収録されている「ストラトステラ」について考えていく。

この曲も動画になっている。男の子2回目。そういえばナユタン星人の曲には男の子曲と女の子曲があるのだとインタビューで言っていたが、動画で示されている以上、男の子曲に該当するのだろう。

歌詞自体は歌詞カードかネット検索かでなんとかして見てほしい。

これから歌詞の解釈をしていくが、具体例をあげることはあっても基本は抽象的に捉えていきたい。

ここで書くのは筆者の「思考」そのものだ。あまりに的外れだと思われるような解釈ははずしておくが、「答え」だけを書くということはしないしできない。断定的に言っていたとしてもどこまでいっても推測でしかないためだ。しかしもちろん、他の解釈を否定するものではない。

というわけで、考察を始めよう。

まずはタイトルから始めたいのだが、さっそくここに問題がある。

「ステラ」は日本語にすると「惑星」「星」「星光」という意味なのだということが調べればすぐにわかるのだが、「ストラト」だけでは意味があまり出てこない。おそらく「stratosphere(ストラトスフィア)」のことを意味しているのではないかと思う。そうだとすればその意味は、「成層圏」だ。

しかしこれだけでは、多くの人が何かを意味していることには察しがつくかもしれないが、その中身まではまだ見えてこない。

そこで歌詞の内容だ。

「ステラはひとつ」「魔法をかけた」「世界の誰にも」「気付かれないように」

ここの冒頭でまず、「ステラ」が歌詞の登場人物であるとわかる。となるとタイトルのもう半分である「ストラト」のほうもそうなのではないか、とまず想像できる。

『もしも、わたしが明日死んだら』『全ての光が』『なくなってしまいますように』

ここはまるごと「」がついた歌詞なので、全て「ステラ」のセリフ、ということになるだろうか。

『ステラ、君は多分』『気づいてないだろうけどさ―』「あなたが嫌った世界も」「僕は、愛してたよ」

前半二つの歌詞には「」があるが、後ろの二つにはそれがない。

ということは、「もしも、わたしが・・・」という「ステラ」の言葉と、「気づいてないだろうけどさ―」までの「僕」の言葉は、二人の発言となる。ただ、実際にあった会話なのかどうかは難しいところだ。「僕」の発言は、過去の会話ではなく現在の独り言のようにも解釈できる。

それ以降は過去を振り返る「僕」についての描写になっているのだろう。

そしてここまでの歌詞で重要なことがわかる。「嫌った」「愛してた」という歌詞が明らかに過去形として使われていることから、「ステラ」はすでにいないということだ。

そしてその原因は「世界」を「嫌った」という部分や、「ステラ」がかけた「魔法」の内容に表れている。

「あなたはステラ」「僕はストラト」「行き先なんて」「何処にもないよ」

「触れあう度に」「悲しくなる理由は」「いつだって、いつだって、知ってたはずさ」「だからさよなら」

「ステラ」が「星」を意味しているとすれば、その対比としての「ストラト」、つまり「成層圏」を意味していることになる。

「行き先」が「何処にもない」ことが「世界」を「嫌った」原因の一つなのだろうと思わせるような歌詞だ。

そして「触れあう度に」からは二人の関係性が弱くはなかったことを感じさせられ、「悲しくなる」のは苦しい現状をどうにもできないことから来る感情なのではないかと感じられる。

「だからさよなら」の部分で何より重要なのは、「だから」と言うことによってそれが理由なのだという説明になっているところだ。

「行き先」が「何処にもない」。「世界」を「嫌った」。でもどうにもできないから、「触れあう度に」「悲しくなる」。「だから」、「さよなら」。

つまり「ステラ」が自ら選んだ結果としての「さよなら」があったということだ。

「街は」「街は」「淡い黄昏」

「空は」「空は」「朱色に染まる」

ここは時間帯やその場所の描写というより、そこに「僕」と「ステラ」の心情を投影した描写として理解したほうがいいのかもしれない。

「僕」が「ストラト」で「成層圏」であり、「ステラ」が「星」のことであるなら、「成層圏」は「地球上」のことで、「星」は「宇宙」のこととして、大きく分けて考えることができる。

要は「街」は地上のものであるから「僕」のことで、見上げた「空」は宇宙なのだから「ステラ」のこと。

そしてそれぞれの心情が歌われているのだとすると、「街」=「僕」は「淡い黄昏」、つまりはなんとなく憂鬱な心情だが、「空」=「ステラ」の心情はそれどころではなく「朱色に染ま」っている。赤という色は、端的に言うなら危険信号だ。

二人の心情には温度差があったことをこのように表現したのではないだろうか。

『ステラ!』「彼女は微かに笑い」「祝福の鐘に」「手をかけた」

最初の部分は「」があるのでセリフだが、名前の呼びかけのみ。それ以上の言葉が意味をなさない、ということかもしれない。

「祝福の鐘」とあるが、一般的に使われるニュアンスとは真逆だろう。本人にとってはそう思えたのかもしれない、という意味合いでこういう表現なのだろうと思う。それは「微かに笑」っていることからも読み取れる。

明示されているわけではないが、歌詞の意図は自ら選んだ死に通じているように思える。それは「彼女」のセリフの中に「もしも、わたしが明日死んだら」とあることから余計にそう感じられるのだろう。

「あなたはステラ」「僕はストラト」「誰も知らない」「ストラとステラ」

「もしも彼女が」「世界を愛していたら」「そんなことを、そんなことを、考えていたよ」

「僕」の心情が現在どうあるのかが表れた歌詞だ。「誰も知らない」という部分からは、その関係性を周囲が知らない、おそらく二人ともが深い会話をする相手がお互い以外にいなかったことを意味しているのではないだろうか。

「さいごにステラ」『「君」がいたこと』「確かめさせて」「確かめさせて」

「闇の中でも」「それだけで僕は」「なんとかね、なんとかね、笑えるはずだ」

「さようなら」

この話の結末は、「さいご」の歌詞に漢字のどちらを当てはめるかによって変わる。

一つは、後追い自殺。だからこその「さようなら」。このとき「闇の中」は死後の世界もしくは死そのものとなるだろう。

もう一つはこの世界で生きていくという結末。その場合「さようなら」の意味は「ステラ」の死による別れを受け入れたということになる。そして「闇の中」は「彼女」がいなくなったこの世界に対する「僕」の認識だ。

解釈の余地は残しつつ、意図としては「僕」がこの世界で生きていくことを選ぶ方向に全体の歌詞の流れは向かっているように思う。

「―サヨナラ」

ともう一度この言葉が出てきて曲は終わる。さすがに確信はできないが、「さようなら」はおそらく「僕」の想い、「サヨナラ」は「彼女」の想いなのかもしれないとは思った。

理由は手前の記号。すでに死んでいる「彼女」は当然セリフを話すことはできない。だから「」は使えない。代わりに「―」を使ったのではないか、ということだ。

一通り歌詞を読んだところで、いくつか整理したい。

二人の関係性は、この世界に対する悩みを持っている「彼女」がその解決方法を見つけ出すことができず、しかし「僕」にはそれを話すというようなもの。

「彼女」は「世界」を「嫌っ」て「わたしが明日死んだらすべての光が」「なくなってしまいますように」と願うが、一方で「僕」はその「世界」を「愛して」いた。

その理由は最後のほうの歌詞にある。「彼女」が死んだことによって「僕」は「闇の中」に取り残されることになっている。

逆に言うなら、「僕」が「愛して」いたのは「あなた」がいた「世界」だということになる。

「ステラ」は「星」や「星光」のことなので、光がなくなったことをもって、「僕」は「闇の中」に残されることになったわけだ。

つまり確かに「ステラ」は「魔法をかけた」ことになる。「僕」の「世界」から「全ての光が」「なくなってしま」ったのだから。

後半の歌詞の、「もしも彼女が」「世界を愛していたら」への答えもここにあるわけだ。「世界」の歌詞を「誰か」に入れ替えればいい。

『「君」がいたこと』を「確かめ」る具体的な手段はわからない。遺品や思い出の物、場所などだろうか。

「黄昏」などの部分の歌詞を二人の心情描写として読んだが、黄昏の次はもちろん夜になる。つまり「闇の中」だ。

そして、「ステラ」=「星」が「いたこと」を「確かめ」られるなら、「それだけで僕は」「なんとか」「笑えるはず」。つまりそれは、「彼女」が存在したということが「闇の中」での「光」になるということを言っている。

地球の重力の範囲である成層圏から遠く離れて微かな光だけを残して行ってしまった彼女と、それを見ていた残された僕の心情が描かれたのが、この「ストラトステラ」という曲の歌詞だ。

この曲が悲しい曲であるということは聞けば一度ではっきりとわかる。

しかし絶望に落ちて終わる曲ではないのではないか。そう思う人も多くいるはずだ。「笑えるはずだ」の歌詞が最後のほうにあることが、そう思われることを望んでいるようにも感じられる。

ところでこの文章のまとめをもう終えようかというところで思いついたことがある。これ結構よくある。のだが、別の解釈もあり得るのではないかという話だ。

「さいご」がもし「彼女」のことを示しているのだとすれば、逆に言うとこのタイミングではまだ「彼女」が生きていた可能性もあり得るのではないか。

最初のほうの歌詞で「もしも、わたしが明日死んだら」とあるが、ポイントは「もしも」だ。

もちろん自殺の可能性を否定はしないしできないが、この言い方はどちらかというと病死をイメージさせる。不治の病というやつだ。

そう考えると、「行き先」が「何処にもない」のも「触れあう度に」「悲しくなる」のも納得できる。

「朱色」は血をイメージさせるし、「彼女」が「微かに笑」ったのは病室で意識を失うシーンと捉えることもできる。

そして「さいご」のときの「彼女」は、かろうじて生きてはいるのかもしれない。

それならば、『「君」がいたこと』を「確かめ」る手段としてその場その段階であり得そうなことは、一つは手を握る、など。

そして最後の最後、「―サヨナラ」というセリフになっていない言葉が「彼女」のものだとしたら、死の間際にわずかに意識を取り戻した「彼女」が、声にはならずとも唇を動かしたのを、「僕」が目撃したのかもしれない。

あるいは「確かめさせて」という想いへの返事としてそれがあったこともあり得そうだ。

前にも言ったことがあるのだが、どちらでも解釈の流れとして大きく矛盾するわけではない以上、どちらの解釈でも間違いではないのだろう。そしてやはり他の解釈もあり得るのかもしれない。

が、「彼女」の死があったことと、「彼女」が「世界」を「嫌っ」ていたことは間違いなく、「僕」にとって「彼女」がとても大きな存在であったこともまた確かではあるだろう。

「ストラトステラ」は死による別れの曲だ。しかしおそらく真っ暗闇ではない。

最後の曲だからかはわからないが、テーマは重く、メッセージも強く、構成は美しい。本気さが伺えるつくりの曲だと感じる。

さて、これで「ナユタン星からの物体X」は全曲解釈し終えることができた。

だがアルバム全体としても少し考えてみたい。

ポップに飾り付けられた曲の数々の中に入っていたものは何だったのか。振り返りつつまとめてみたいと思う。