キタニタツヤ『Moonthief』歌詞解釈・考察|価値の無い「愛」のまなざしから逃れて




今回はキタニタツヤの『Moonthief』の歌詞を考察していきたい。

キタニタツヤの有名な曲というと、個人的に思いつくのはTVアニメ『呪術廻戦』第二期のOPテーマになった『青のすみか』がまずあるのだが、そちらの考察どころか他のキタニタツヤの曲の考察もまだやったことのない段階で、この『Moonthief』という曲の歌詞を考えていく。

なぜかと言えば、歌詞を見たときに考察してみたら面白いのではないかと感じたからというのが大きい。タイトルの『Moontheif』というのもどういう意味なのかを考えたくなる言葉であると思う。

歌詞自体は歌詞カードかネット検索かでなんとかして見てほしい。

これから歌詞の解釈をしていくが、具体例をあげることはあっても基本は抽象的に捉えていきたい。

また、歌詞の一部分を抜き出してその意味などを考察しながらひととおり解釈した後に、改めて全体を考察するという形式を取る。

ここで書くのは筆者の「思考」そのものだ。あまりに的外れだと思われるような解釈ははずしておくが、「答え」だけを書くということはしないしできない。断定的に言っていたとしてもどこまでいっても推測でしかないためだ。しかしもちろん、他の解釈を否定するものではない。

そして敬称は略させていただく。

というわけで、考察を始めよう。

「うーん」~「ペトリコール」

「どうにかなってしまいそうな」と「僕が僕でなくなっていくような」は同じような意味と考えていいだろう。そこから「誰かの人生に変わったとして」と続く。ここは「借り物みてーな日々」という表現と繋がる。「誰かの人生を借りているような日々」とまとめることもできるだろうか。

しかし、「それはそれで生きてしまえる」「愛着も湧いている」とあるので、それが完全に駄目だとは感じていないのかもしれない。というかむしろそれで良い面もあると思っているのかもしれない。

また、「神妙な顔して踊っている」ともあるので、借り物のようであると感じながらも、その人生をどうでもいいと思っているわけでも雑に扱っているというわけでもない。「踊る」というのは比喩だろうが、ただ勝手に過ぎていくような日常であればそういう例えかたにはならないだろうと思うので、自分でやろうと思ってやっている部分もあるのではないかと思う。

「誰かの人生を借りているような日々」を送ることを「踊る」と表現していて、しかしそれに「愛着も湧いている」、という内容だと考えられる。

「夜去」は「ようさり」と読むらしい。意味は「夜」または「夕方」、もしくは「前夜」や「昨夜」。そして「ペトリコール」とは「雨が降った時に地面から上ってくる匂い」のことのようだ。

単に「夜」だとか「夕方」だとかの言い換えとして選んだにしては「夜去」という言葉は聞きなれないし、字面からしても意味ありげだ。「去る」という言葉は昔は近づくときにも遠ざかるときにも使われていて、「移動する」ことを意味していたらしい。だから夜に入るときのことを「夜去」と書くのだろうか。

とはいえ、歌詞として見るときには漢字本来の意味や成り立ちよりも、音や字面のイメージや作詞者の解釈や意図などを考えたほうがいいだろう。

もちろんすべて汲み取れるかと言われれば難しいが、いったんは言葉の表面的な意味だけを抑えつつも、後でまた考えることにしよう。

とりあえず「夜が来る」。そしてそのとき「雨が降る」。「ペトリコール」は雨の降り始めの匂いらしいので、「夜が来るとほとんど同時に雨が降り出す」という感じだ。

「あの月の眩しさが」~「曖昧なベーゼ」

「あの月の眩しさが邪魔だった」「暗くて甘い夜が好きだった」とあるので、「夜」の話をしているのは間違いないだろうが、「だった」という言い方からすると回想のような感じなので、「過去の夜」の話だろうか。それも特定の日ではなく、その時間帯というか状態のような。

要は「眩しい夜」と「暗くて甘い夜」があり、前者は嫌いで後者が好きだと言っているのだろう。

「ベーゼ」はフランス語で「キス」のことでいいのだろうか。つまり「甘い夜」はそういう夜のことということになりそうにも思うのだが、「かばんの中で溶けかけた チョコレートみたい」という表現の捉え方次第な感じもする。「曖昧」とも言っているので、同じような意味と考えると、「暗くて甘い夜」というのは「曖昧なキスをするような夜」ということになる。

そうなると今度は「曖昧なキス」とは? となるのだが、行為として捉えるなら触れたかどうかわからないくらいの、という感じがイメージされる。一方でここも例えとして考えるなら、「愛情があるのかどうかが曖昧でわからない触れ合い」のこととなるだろう。

けれども、それが「好きだった」。逆に「月の眩しさ」によってそこがはっきりしてしまうのは嫌だった、という意味になると思う。

「愛は死語になる」~「街をすべる」

地味に気になるのは歌詞全体に何か所か「、」が入っていることだが、はっきりと意図を読み取るのは難しい。単純に文がどこで分かれているのかを理解しやすくするためにも思える。「愛は死語になる」の後に何もないと確かに、「価値はとうに無く」が「愛」について言っているのか別のことを言っているのかわかりにくくはなるだろう。

意味としては、「死語になる」と「価値はとうに無く」は似たようなことだが、順番的には価値がすでに無くなっているから死語になる、という感じになるだろう。何がと言えば、「愛」が。

そして続いて「愛はもう地縛霊」であると言っている。にもかかわらず「彷徨しだす」とも言っている。「彷徨」は「さまようこと」なので、「地縛霊」という土地に縛られて動けないイメージとは矛盾する。

おそらく「地縛霊」の捉え方が違うのだろう。まず、「霊」は「死んだもの」であるため、「死語」と同じ意味合いで考えていいと思う。そして「地縛」は土地というより、「縛られて動けない」イメージとして捉えるのが良いのかもしれない。ここも「愛」の話なので、「死んだ愛に縛られて動けない」のような感じだろうか。

なのに「彷徨しだす」というのは矛盾しているようだが、「実体のない愛を探してさまようようになる」という雰囲気だろう。ヒントのように捉えるべきかどうか微妙なところだが、歌い方が韻を踏んでいることもあり、「地縛」と「霊、彷徨しだす」で分かれている。「霊」が歌詞の前後どちらにも掛かっていると考えれば、「霊」は「死んだもの」であると同時に「実体のないもの」でもあるため、今のような解釈も、できるかもしれない。

「放射冷却」は意味としては単に熱いものが冷めるようなことだが、わざわざ「放射冷却」という言葉を用いる場合は気象現象として地面から熱が逃げて気温が下がるというときなどで使われるイメージがある。

地面を温めているのは太陽なので、それがない時間帯に「放射冷却」が起きる。「夜」を表現する言葉の一つだろう。

「凍りついた」というのは表現的には、「固まっている」「動かない・動けない」「取り残されている」のような意味合いで使われることが多いと思う。そしてそういう状態の「街をすべる」。「すべる」がひらがなで表記されているので、「滑る」と「統べる」のどちらの意味も含んでいると捉えられそうだ。

他が動けないような中で「滑る」ということは自由に動き回れるという意味になるだろうし、それはあたかも「支配」しているかのようでもあるだろう。

「僕らはMoonthief」~「ちゃんと生きれてる気がしたんだ」

moonは「月」で、thiefは「泥棒」。「月を盗み出してしまおうぜ」と言っているので意味はそれで大丈夫だろうと思う。

なぜそれをするのかといえば、「こわいものばかりの世界の中」「ちょっとだけ隠れやすくしたって」「いいだろ」ということらしい。

ここの「こわいもの」のひらがな表記も若干気になるが、おそらく漢字にすることでその漢字に含まれるニュアンスに固定されてしまうのを避けるためではないかと思う。つまり例えば漢字で「物」にしてしまうと「者」というニュアンスを排除してしまうことになるから、あえてどちらともとれるように「もの」とひらがなで書いてある、というような。

とにかく、「こわいもの」から隠れやすくするために「月を盗む」。つまり「夜を照らすものをなくす」。

すると当然暗くなって見えにくくなるので、「あいつらの目を騙くらかす」のに繋がる。

ただ、「死にたくなるほどの夜だけは」「ちゃんと生きれてる気がしたんだ」とそれまでの歌詞がどう繋がっているのかは、まだよくわからない。

「厭世主義者ぶる」~(想像もつかないほど綺麗かも…)

「厭世」は「えんせい」と読む。が、歌としてはおそらく「ペシミスト」と言っている。意味は同じだ。そして「厭世主義」とは「この世は悪や苦痛が優勢であり人生は生きるに値しないという考え方」のことらしい。それこそ「死にたくなる」ような心境だろうか。

そしてここで出てくる「厭世主義者ぶるいけない子」のセリフというか心情というかが(この星の終わりを夢に見ている!)と(想像もつかないほど綺麗かも…)の歌詞という形になっているように見える。

内容は、おそらくは世の中に嫌気がさしているある人物が、自分がではなくこの星ごと終わって欲しいと思っていて、その場面がきっと綺麗だろうと夢想している、という感じだ。そしてそういうふうに思っている人物に対して、間の歌詞で「愛を説こうとも意味がないの?」という投げかけがある。

この「愛を説こうとも意味がない」というのはおそらく「愛は死語になる」と同じ意味なのだろう。「価値はとうに無く」とも繋がる。

つまり「愛の価値」とは「厭世主義的な考え方」にならないようにするためのもの、というのがここで浮かび上がってくる。それができていないのが今の状態であるから、「愛の価値はとうに無く、死語になる」と言っていたわけだ。

「あの月に祈れども」~「開き直ろうぜ」

「月」がどういうものなのかは曲全体に関わるので、また後に回す。

「ロードキル」とは、車に轢かれたり、道路脇の溝にはまって死んでしまったりなどの、道路の影響で野生動物が死んでしまうこと。歌詞に「潰れた」とあるので車に轢かれたようなイメージだろうか。それが「僕だった」。

そして「群れるビルが墓碑に見えた」。

まず、「月に祈れども無駄だった」が最初にあるので、「何かを祈ったが意味がなかった」。そしてそこから、「ロードキル」や「墓碑」という言葉のニュアンスにある、「死んだような状態に僕がなった」と読み取れる。

また「群れるビル」というところから、都会的なイメージがある。少し前の歌詞にある「街」という字も、「町」よりも都会的なイメージがあるように思う。「ロードキル」はどちらかと言えば都会ではないほうが多いようなイメージがあるが、しかし「車」や「道路」という人が作ったものと「野生動物」の対比がある。

つまり、「野生動物」が近代的な「車」に轢かれるイメージと「僕」が一見きらびやかな「都会」で潰れるイメージを重ね合わせているのではないか、ということだ。だから「都会」の象徴である「群れるビル」が、「僕」にとっては自分を死なせるもの、自分の死を連想させるものになり、だから「墓碑に見えた」のだろう。

「ピカレスク小説」というジャンルがあるのだが、日本語にすると「悪漢小説」とか「悪者小説」となるらしい。歌詞の「ピカレスク」もここから来ているのだろう。スペイン語らしい。

この「悪者」を主役とした小説は、「悪者」とは言いつつあまり暴力的でなく、時にはユーモアもあるようなずる賢い小悪党のような感じのようだ。ひねくれもの、みたいな雰囲気もあるかもしれない。

そのような「ピカレスク」を気取って開き直るということは、いわば「真っ当には都会的な場所ではうまくいかなかったから、それでもこの場所に留まる以上は真っ当じゃないようなスタンスでやっていくしかない」というようなことで、それに「開き直る」。それを「やってやる」みたいな心持ちのようだ。

真っ当な「僕」は都会で死に、「ピカレスク気取りの僕」に生まれ変わったという言い方もできるだろう。

ここは冒頭部分の「僕が僕でなくなっていく」だとか「誰かの人生に変わる」、「借り物みてーな日々」などとも繋がる歌詞だ。「ピカレスク気取りの僕」は「僕」でありつつ、「都会的な場所でやっていくための振る舞いを、誰かから僕が真似した姿」みたいな感じなのだろう。

「僕だけが違う」~「寂しさが埋まらない」

「端子」と言えば電子機器を接続する部分のことだろうと思う。その「規格」が違うと接続できない。

なので「僕だけが違う、脳端子の規格」という歌詞は雑に言ってしまうと「他のみんなと考え方や価値観が合わない」みたいなことだと思う。

「ソーシャルを離脱」の「ソーシャル」は「社会」とか「社会的」と捉えればいいと思うので、繋げて考えると「みんなと考え方が合わないからその社会から離れる」という意味になるだろう。そのうえで、「勝った気の自虐」。

「自虐」なのに「勝った気」とあるので、いわば「社会」の考え方を「ありきたり」だとか「つまらない」というふうに捉え、それとは異なる考え方をする自分を特別視することで「勝った気」になる。その自分を特別視するときの表現の仕方が、「自分はみんなに合わせることができない変人である」、みたいな感じの「自虐」であったなら、それは言い方を変えると「自分は他の奴らとは違う」という優越に転じる。

要するに「自分は他の奴らとは違う」と思いながらある「社会」から離れた「僕」だが、結果としては「情けないくらいに寂しさが埋まらない」という孤独感を抱くことになってしまったということだろう。

「僕らはMoonthief」~「ちゃんと生きれてる気がしたんだ」

歌詞は一度目と同じ。なのでここからは全体をまとめて考えてみよう。

歌詞をひととおり読んで

すぐにははっきりとわからない部分や言葉の使い方が多かったので、その辺りを改めて考えてみる。

何より、「夜」と「月」だ。この曲の歌詞では、「月」がある「眩しい夜」と「月」のない「暗い夜」がある。

キーワードは「愛」かもしれない。

「僕」は「都会」もしくは「社会」で、言ってみれば挫折したことにより「ピカレスク気取り」になった。これはおそらく「厭世主義者ぶるいけない子」と同じ意味になるだろう。

本人はそんな状態にも「愛着も湧いている」。

とはいえ「寂しさが埋まらない」ともあるように、開き直りつつも満たされてはいない。

それを満たすものが、本来は「愛」なのだろう。しかしそれは機能していない。

ではこの「愛」とはこの歌詞においてどういったものなのか。「愛はもう地縛霊、彷徨しだす」の歌詞を「愛は縛って動けなくするもの」で、かつ「実体がなくさまようもの」のように捉えたが、「地縛」というのが「街」という場所のことも指しているのなら、「都会」や「社会」とも考えられる。

つまり「愛」とは、「人をある社会の中に縛りつけて動けなくするが、実体がないためそれを求める人をさまよわせる」というような感じでも捉えられる。そう考えると「放射冷却で凍りついた街をすべる」とも繋がる。「夜の街を支配しているのが実体のない愛である」という捉え方だ。

そうだとすれば、「僕」が「月の眩しさが邪魔」と言っていたり「かくれやすくするために月を盗む」、「月に祈れども無駄だった」などの「月」は、「愛」に関連する言葉だと考えることができる。

おそらくは「愛を持った人の目線」のようなこと。言い方を変えれば、「お節介な世間の目」だ。これこそが歌詞の中の「あいつらの目」なのではないだろうか。

「月に祈る」はこのニュアンスだと、「世間の価値観に合わせる」ようなこと。それに挫折したことで「僕」は「ピカレスク気取り」や「厭世主義者ぶる」ようになった。その価値観の中では「お節介な世間の目」、つまり「月」は束縛の象徴だ。

「お節介な世間の目」を「騙くらかしてこの世界の中を隠れやすくするために」「月を盗もう」と言っているわけだ。この表現からすると正確には「月」は「お節介な世間の目」そのものというより、その「目」が見るための「明かり」のほうだろう。「ツール」という言い換えもできるかもしれない。

ではその「月」が盗まれた状態とはどういった感じなのか。

「かばんの中で溶けかけた チョコレートみたいな曖昧なベーゼ」と、「あいつらの目を騙くらかして 死にたくなるほどの夜」「情けないくらいに寂しさが埋まらない」というあたりから考えると、「社会の目から外れて孤独感を抱きながらも、あるのかどうかわからない愛情を探すような状態」というような感じがする。

このときの「愛情」は「世間」ではなく直接的な「触れ合い」のようなイメージ。つまり「お節介な社会からは見られない場所で、しかし誰かとは触れ合いたいと思って行動している状態」だ。

その状態であることによって、「ちゃんと生きれてる気がしたんだ」というのが「僕」の実感なのではないだろうか。

では、そもそも「夜」とはこの歌詞において何なのか。

本来「夜」は暗い時間帯だ。だから普通は「お節介な世間の目」は届かないはずだが、この歌詞の中では「月」の明かりによって「夜」でもその「目」が届いてしまう。

そして「暗くて甘い夜が好きだった」の歌詞を、そのまま過去形の表現として読むなら、「昔は夜はもっと暗かった」という読み方もできる。

つまり「夜」とは「前はもっと世間の目が届かなかったが、今はもう人目についてしまうような領域」のことを指すと考えられるのではないだろうか。

急激にいろんな人の動向をいつでも追えるようになってきたという経験をしている現代人なら、想像もつきやすいと思う。

「お節介な世間の目」が利用する現代の「ツール」と言えば、思いつくものもあるだろう。

それを「盗み出してしまいたい」と思っているのが、この曲だということだ。

まとめ

「街」の価値観に合わせられずに挫折を味わい、世間を斜めに見るようになった。「僕」から見て世の中は「お節介な人の目」によって縛られていて、その「お節介な愛情」には価値がない。

だからその「人の目」がまだそれほど届かなかった時期を思い返して、その状態に戻してしまいたい。

世間や社会から距離を置く「僕」は「死にたくなるほどの」寂しさを感じているものの、世間一般のような遠い存在ではなく直接的な人との「触れ合い」を求めているときの自分は、「ちゃんと生きれてる」と思える。

というように解釈した。

もちろん合っているかどうかはわからないが、現代的な感性としてはおかしくない考察になったと思う。

終わりに

「夜去」という言葉は意味的には「夜が来る」ことだが、字面は「夜が去る」と書く。そしてこの曲でも確かに、「月のある夜は来ているが、以前のような暗い夜はもう去っている」。このような意味を込められる単語として選んだ可能性はあるように思う。

「ペトリコール」は「雨の降り始めの匂い」なので、一つには心情としての「雨」があるはず。悲しい場面や寂しい場面を表現するためにそのシーンで雨を降らせるというのは、映画でもドラマでもアニメでも漫画でも珍しくはない。

一方で、「夜」に「雨が降る」のなら「月」は出ていないはず。だが歌詞の内容を見る限り、現在は基本的に「月」が出ている状態だと思われるので、「香り立つペトリコール」は、「月」が隠れて欲しいという願望から実際にはしていない匂いを感じた、という表現なのかもしれない。もしくは過去の回想か。続く歌詞が過去形になっているので、そこから回想に入っていくというシーンとも考えられる。

今回は最初にも述べたが、キタニタツヤの曲の歌詞を初めて考察してみた。

単に深読みだとか考えすぎだと思われる部分もあるだろうし、もしかしたら筆者自身の価値観によって偏った考察になっているところもあるかもしれない。

とはいえ、何の意味もない歌詞だと思う人はおそらくいないだろう。そして考えてみたい人もいるはず。この曲に限らずだ。

そんなときに一つの考え方として、あるいは別の何かの曲の歌詞を考えるときのヒントとして、この考察が参考になれば幸いに思う。