月光に照らされて遠きひとへ|ナユタン星人『月光ミュージック』歌詞解釈・考察




今回は「ナユタン星からの物体Y」の三曲目に収録されている『月光ミュージック』の歌詞について考えていく。

さらっと歌詞を読んだ時点で重要そうな部分は、登場人物の「わたし」と「あなた」と、「月」と「太陽」。ただし単純な対比として捉えるべきかどうかは、少し微妙なところだ。

そして具体的なシチュエーションを限定はできないだろうが、一つ頭に浮かべておくと例えとして理解しやすくなりそうなイメージは浮かんだ。ひとまずそれを頼りに考えていくとしよう。

歌詞自体は歌詞カードかネット検索かでなんとかして見てほしい。

これから歌詞の解釈をしていくが、具体例をあげることはあっても基本は抽象的に捉えていきたい。

ここで書くのは筆者の「思考」そのものだ。あまりに的外れだと思われるような解釈ははずしておくが、「答え」だけを書くということはしないしできない。断定的に言っていたとしてもどこまでいっても推測でしかないためだ。しかしもちろん、他の解釈を否定するものではない。

というわけで、考察を始めよう。

「ギラギラと」~「ぼかすらしい」

「太陽の眩しさで わたし溶けそう」という部分はおそらく「わたし」の感情だとか状況だとかだろうとは思うのだが、だいたいの創作物の中での表現として「わたし溶けそう」と言うときは、自分に多大な、しかし大抵はポジティブな変化をもたらすものに直面して抗えない、抗おうと思えない、というような場面ではないかと思う。

後の歌詞の中にもあるが、「あなた」を「太陽」のように見立てていることから、「あなた」によって大きな影響を受けていることを「わたし」が自覚している、というような歌詞に読める。

「宇宙の気まぐれ」は、はっきりと断言はできないものの、一つは心の惑いのようなこと。もう一つは「宇宙」をすべてのものとか法則のように解釈して、奇跡的な偶然みたいな意味かもしれない。

そのような、心の動きや何らかの偶然によって、「あなた」との距離がぼかされた。つまり本来(物理的もしくは心情的に)遠いはずの距離が近づくように思えた、ということではないだろうか。

「キラキラと」~「続くらしい」

「月の導き」という歌詞は、続く「あなた行きのルートは」「しばらく続くらしい」の部分の理由に読める。「あなた行きのルート」は「あなた」に近づく道筋が「わたし」に見えているということだろうから、その道筋が現れた理由が「月の導き」。

それにより「夜も超えそう」とあるので、「夜」を超えることと「あなた」に近づくということが完全に同じとまでは言わないが、重なっているように思える。となると「夜」にはいわば「陰」みたいな意味合いが含まれているのかもしれない。心情的な暗さとか、暗くなるような環境とか。

「月」自体は「太陽」との対比という感じはあまりしない。歌詞としては対比のように配置されてはいるものの、「太陽」が「あなた」のことだとすれば「月」は「わたし」のこと、というようにはあまり思えない。「月」が「わたし」なら、「月の導き」という歌詞は出てこないだろう。

「宇宙のきまぐれ」と「月の導き」に重なる部分があるとして解釈すると、ある種の偶然や奇跡のような幸運によって「あなた」との距離が近づくのではないかと思える機会を得た、というふうに考えられる。

というか、「宇宙のきまぐれ」はやはり「わたし」の心の不規則な動きのことで、「月の導き」が偶然や幸運、というふうに分けて解釈することもできる。

いずれにしてもここまでの解釈の中身は変わらない。繰り返しだが、偶然や幸運により「わたし」の心が惑ってしまう対象である「あなた」に近づけるかもしれない機会が訪れた、ということだ。

「闇に紛る刹那」~「最高速のワープ!」

この部分の歌詞が解釈するうえでとにかく難しい。ただ、シチュエーションをある程度限定してみると、なんとなくわかるような気もしてくる。

まず「闇に紛る刹那」は「ゆれだした銀色」に繋がっている歌詞に思える。暗闇である状況の中で「銀色」が揺れ出す。「銀色」でイメージされるものは、この曲の歌詞ならまず「月光」だろうか。

月の色と聞いて何色が思い浮かぶのかは人それぞれだと思うのだが、月は位置や時間帯によっても見え方が違う。赤っぽい月、黄色っぽい月、白っぽい月、青っぽい月などは実際にある見え方だ。

表現として月の色を銀と言うことはそれなりにあるのではないかと思う。白っぽい銀色の月がイメージできる。ちなみに月は高度が低いと赤っぽく見え、高いと白っぽく見えるらしい。

そして、(わたし あなた 交代のダンシング)からの連想で、例えばそれはスポットライトのようなもの。闇の中でスポットライトが当たっている中、ゆれだした「銀色」とはそこにいる光に照らされた人のことで、だとしたら「ゆれる」と「ダンシング」は同じことなのだろう。

「交代」というのを歌詞の流れから考えると、「あなた」から「わたし」に代わって今度は「わたし」が踊る、ということだろうか。

そしてそれこそが(最高速のワープ)の手段である、というように読める。「ワープ」はショートカットのようなこと。何のショートカットかと言えば、「あなた」に近づくための、ということだろう。

場面はわかってきた気がする。「あなた」に近づきたい「わたし」がいて、闇の中でスポットライトが当たっている。そこで「わたし」が踊る。それが「あなた」に近づくための手段になっている、という感じだ。

具体的な例で思いつくのは、オーディションのような状況だろうか。

もちろんそれだけに限定はできないが、「交代のダンシング」ということは、つまり「あなた」と似たようなことを「わたし」もしようとしていることになると思うので、「あなた」に近づくための一種のチャレンジのような意味合いがある行動なのではないかと考えられそうだ。

「今だ銘々光れ」~「響いてミュージック!」

まず「今だ銘々光れ」とあるのがこれまでの解釈を踏まえると、それぞれが今この場で自分が力を発揮する姿を見せよう、という感じに捉えられる。

その舞台が「月光のライト」に照らされた場所。

そうなると「凛々と生命照らす閃光」もこの「月光のライト」のことで、それが「絶好のチャンス」だと言っている。「手を叩きましょう」はパフォーマンス自体のことだろうか。あるいは他にも参加者のような人が周りにもいて、一緒にその場を盛り上げようというような解釈もあり得るかもしれない。

「わたしの感情に 制御はきかない」というのはそれこそ感情のままにパフォーマンスをしているような様子が思い浮かぶ。

その感情の向かう先は、「太陽のように遠きあなた」ということになる。「ただ響いて」は心に届くことを願うような感情。「ミュージック」とはっきり歌詞にあるため、このパフォーマンスは音楽的な要素のあるようなものだとわかる。それこそダンスとか。

「夜を纏え 月光ミュージック」

「夜」はこのニュアンスからすると、「日陰者」のようなことなのかもしれない。要は活躍できていなかった者が活躍できようになるかもしれない場所、シチュエーションがここであり、そこでの音楽のことを「月光ミュージック」と表現しているのだろう、と考えられそうだ。



「フラフラと」~「奇跡らしい」

「フラフラと」から「気持ち」までの歌詞は心が定まらない様子を表す歌詞で、「わたし溶けそう」あたりの歌詞と関連しそうに思える。「酩酊」は酔っている状態のことなので、解釈はその状態をどう捉えるか次第だ。

しかし続く歌詞で「宇宙のはじまりは あなたがくれた奇跡らしい」とあるので、気持ちは定まらないながらもネガティブに考えているような印象は受けない。となると熱に浮かされている状態、みたいな感じだろうか。

「宇宙のはじまり」とは今のところこの歌詞で考えるなら、いわばチャレンジしようと思ったきっかけ、みたいに思える。それを「あなたがくれた」と。

「これが最後なのさ」

何がかはちゃんとはわからないものの、おそらくこのチャレンジのことだろう。あるいはそれによって「わたし」のパフォーマンスする姿を「あなた」に示すチャンスのほうかもしれない。

いずれにしても最後であるなら悔いの残らないようにという心持ちになっているのではないだろうか。

その「最後」であるということが意識に上ってきたところで、次の歌詞に行く。

「感傷に銘々浸れ」~「響いてミュージック!」

感傷的になっている理由は、先ほどの歌詞にあったように「最後」だからだろう。そのとき月光のライトを優しく感じている。その中での「絶頂ロマンス」。「ロマンス」というと現代では恋愛的な物語を指す場合が多いようだが、空想的な意味合いも含む。

「わたし」と「あなた」が同時に踊っているような印象は今まであまりなかったため、いわば「わたし」の中での空想上の到達点のようなイメージだろうか。そう思えるほどに高まっている状態というか。

「わたしの感情に 終点はみえない」という歌詞も、その昂りを表現していると見ることができそうだ。

そしてそれを発露させるような歌詞としての「ただ、響いて ミュージック!」。ただ、ここでも「太陽の様に遠きあなたへ」とある。

「再三に銘々光れ」~「届いてミュージック!」

「再三に銘々光れ」と言っている理由は、「結構、月光のライトは短い」から。つまり終わりが近づいているからということだろう。

「凛々と生命望む羨望」の歌詞の捉え方が難しいが、まず「凛々と」はこれまで「閃光」にかかっていたのだと思う。要は「凛々と」しているのは「生命」ではなくて「閃光」のほうだという解釈だ。

同じように考えると、ここの部分の歌詞も「凛々と」しているのは「羨望」ということになる。となると、「羨望」とは「羨望の対象」のことを示すから、「あなた」のこととなる。

「生命」=「わたし」を含むこの場の参加者が、ああなりたいと望む対象が「あなた」、という構図だ。

その「あなた」に対し、「最後のダンス」だから「手を叩いてよ」と言っている。

それがすなわち、「キュンキュン鳴るわたしの感情を 受けとめて」と言うのと同じことだと。

その心情や熱情を、「太陽の様に違うあなたに」「届いて」と願っている。「ミュージック」によって。

「夜を纏え 月光ミュージック」

「遠くへ響け 月光ミュージック」

この「遠く」はこれまでの解釈を引き継げば、「あなた」やその心のことを示しているという捉え方になる。ただ、それだけでもない。

「あなた」に近づくということは「あなた」のような存在になりたいという意味もおそらくあるのだろうし、この場は「太陽」のような存在が新たに生まれてくる可能性のある場所だと思われる。となると、「銘々光れ」とあるように、自分を輝かせることをそれぞれができ得る限りでしているはず。

だとすると「遠く」には「あなた」だけでなく、このパフォーマンスを見て聞いたすべての人やその心も含まっているはずだ。そうしてもしかしたら、そんな「わたし」を見てまた次の「生命」が「月光のライト」を浴びることになるのかもしれない。

ひととおり解釈を終えて

この曲の歌詞が恋愛に関するものかどうかははっきりと断定はできないように思う。基本的にはそうじゃない方向で考えてきたが、しかしそれもまたはっきり否定できるわけでもない。「ロマンス」の解釈次第な気もするが、仮に恋愛の話だったとしても「あなた」に対して「わたし」は「ミュージック」を響かせる、届かせるまでしかできないような状況なのだろうから、その距離は近くない。

全体を通してみると、どちらかと言うと「あなた」は「わたし」にとっての憧れの存在と捉えたほうがいいように思えた。それを「太陽」のような存在と言っているのだろう、と。

一方で「月光」とはそもそも太陽の反射光なので、「太陽」=「あなた」の影響ももしかしたらあって得られた機会がこの場ということなのかもしれない。

「生命」という表現の仕方も地球上で太陽光のもたらしたものというところから選ばれた言葉、ということも考えられなくもない。

「太陽」によって育まれた「生命」が「月光のライト」のもとで「ミュージック」を響かせる、と考えるとなんだか情緒がある。照らしているわけだからおそらく満月に近い月で、銀色なのだろう。その光景はなんだかおとぎ話のようですらある。

あとこれは一つの思いつきなのだが、もしかしたらナユタン星人自身のことも含まっているのかもしれない。

「太陽」というのは業界の先人のような人のことであり、道を作った人。そしてその業界では今まで何の実績もなかったような人でも発表の場が得られる。そんな「絶好のチャンス」でチャレンジをするというのは、動画サイトなどでボーカロイド楽曲を発表するということと重なるようにも思える。だから歌詞に直接「ミュージック」という単語を出したのではないか、と。

もちろんこれは一つの考察に過ぎないし、仮に合っている部分があったとしても広く解釈できるように作られている以上、その意味でしかない曲ということにはならない。

しかしナユタン星人の曲にはネットやボカロに関係していそうな歌詞も案外ある印象だ。一見してわからないことも多いが。なのでそこは歌詞を読むときに頭の片隅に入れておくと、今までとは少し違った解釈が発見できるかもしれない。

まとめ

「わたし」にとって大きな影響を受けた太陽のような存在である「あなた」へ届くことを願って、「わたし」のできる限りのパフォーマンスをできる場が「月光のライト」の当たる場所、そこでのパフォーマンスこそが「月光ミュージック」である、と解釈した。

届いているのかどうかは実際にはわからない。しかし届く可能性はあるのだろう。それを信じ、あるいは祈る音楽。

そしてそれを響かせている「生命」は光を放ち、いずれはいろんな人を照らす「太陽」のような存在になるのかもしれない。

終わりに

歌詞の内容的には、『パーフェクト生命』が頭に浮かんでいたのだが、関係はあるのかないのか。直接関係はなかったとしてももちろんどちらもナユタン星人が書いた歌詞なのだから、似たテーマを別の角度から描く、というような試みがされていても不思議はない。

ナユタン星人の曲は次は『ダンスロボットダンス』だ。解釈や考察を避け付けなさそうな歌詞に思える部分もかなりあるが、気合と根性で読み解いてみたい。