今回は「ナユタン星からの物体Y」の六曲目に収録されている『火星のララバイ』の歌詞について考えていく。
こちらもシリーズものだ。『水星のワルツ』に続いての二作目ということになるだろう。
『水星のワルツ』では思い切れない
http://najiitishi.com/music/suiseinowaltz.html
歌詞自体は歌詞カードかネット検索かでなんとかして見てほしい。
これから歌詞の解釈をしていくが、具体例をあげることはあっても基本は抽象的に捉えていきたい。
また、歌詞の一部分を抜き出してその意味などを考察しながらひととおり解釈した後に、改めて全体を考察するという形式を取る。
ここで書くのは筆者の「思考」そのものだ。あまりに的外れだと思われるような解釈ははずしておくが、「答え」だけを書くということはしないしできない。断定的に言っていたとしてもどこまでいっても推測でしかないためだ。しかしもちろん、他の解釈を否定するものではない。
そして敬称は略させていただく。
というわけで、考察を始めよう。
「近頃、夜も」~「体には気をつけて おやすみ」
冒頭はシチュエーションは気になるものの、文章としては普通に思える。「近頃は夜も冷えるから体には気をつけて、おやすみ」というのは、誰かに語りかけているセリフとして自然だ。
いきなりタイトルの話をするが、「ララバイ」とは「子守唄」のことだ。
なので「おやすみ」と語りかけている以上、語りかけている側が、この曲の歌詞で言う「あなた」が眠りに就くのを見守っているような構図がまず思い浮かぶ。もちろんこの時点では確定できないが。
ただ、「普通のセリフ」とは言っても、もちろん意味のない歌詞ということはない。
その意味を読み取るためには、この部分だけでなくやはり全体を考えてみなければわからないだろう。
しかし、今の時点で少し気になるのは、「夜も」という言い方になっているところだ。
「夜も」と言っているということは、「朝や昼も冷える」というふうに捉えていいのかどうか。確信を持っては言えないが、「夜は冷える」ではなく「夜も冷える」という歌詞にしたのには、あえてそうした理由がありそうにも思える。
「ふたりで作ったケーキにさ」~「星が消えた数だけ」
歌詞の語り手側には「ぼく」や「わたし」のような一人称はないが、歌詞の中に「あなた」は出てくるので、登場人物は「語り手」と「あなた」の二人であるのは間違いない。
「ケーキ」に「ロウソクを立てる」と言えば真っ先に思い浮かぶのは「誕生日」だろうが、ここでは「星が消えた数だけ」とある。むしろ逆のような印象だ。
歌詞の中でも重要な部分だと思うのだが、ここの考察もここだけから読み取るのは難しい。いったん後に回すことにする。
「火星の海には」~「そんな話をした」
「火星」という惑星には実際昔は海があったと見られているが、現在はない。そして「シーラカンス」は「生きた化石」と言われるほど、遥か昔から姿がほとんど変わらないまま今も生息している魚類だ。
歌詞の物語の内容が現代だとするなら、現実には言葉通りの状況はあり得ない。まず「火星の海」がないのだから、当然「シーラカンス」もおらず、だから「見に行く」こともできない。
ここは後の歌詞に出てくる、「嘘」がキーワードになるのだろう。
「そんな話をした」と言っているので、話の内容が事実かどうかはそもそもどちらとも断言はできない。しかしここは「嘘」としてまずは捉えておくほうがいいのだと思う。
そうだとすれば、見え透いた嘘を「あなた」に対して言っている場面なのではないかと考えることができるかもしれない。
つまり話をされた「あなた」のほうも話の内容が嘘であることに気づいていて、「語り手」も「あなた」が嘘に気づいていることをわかっているという、そういう前提に立ったやり取りなのではないだろうか。
このとき重要なのは、「あなた」のほうが話の内容を嘘だと思っていても、それを実際に確かめるには「見に行く」しかないということ。
しかし単に「あなた」とどこかに行きたいのなら、普通なら「嘘」を言う必要はない。
実際にいつか見に行くのなら「未来の約束」になるが、約束の中身が嘘であることを互いに理解しているのなら、会話の中の冗談のような、「架空の未来の約束」となる。
つまり実現しないとわかっていながら、それを冗談のようにして言っている感じかもしれない。
「明日 世界が」~「好きに言いなよ おやすみ」
「今度見に行こう」と直前の歌詞で言いながらも、「明日 世界が終わる」とも言っているのも、やはり「嘘」がキーワードであればおかしくはない。
「明日 世界が終わるからさ 辛いこと怖いこと全部、全部忘れよう」の歌詞は、今まで考察してきた歌詞に少し近いニュアンスのものがあったように思う。
直接的な関連性があるとはあまり思っていないが、『ロケットサイダー』の「終末、ぼくらは月の裏側で 傷つけ合うのなんて 馬鹿らしくて 笑いあうだろう」という歌詞だ。
物語の内容自体が関連しているというより、登場人物が直面している状況や心境が近いのだと思う。
つまり、「終わりが目の前まで来ているのだから、いろいろあった過去のことは忘れて二人で今を良くしよう」という状況や考え方だ。
ただ、ここでセリフの形で「それも嘘でしょう」と「あなたが笑う」というのが『火星のララバイ』の歌詞にはあるので、「世界が終わる」というのが嘘であるか、あるいは文字通りの意味ではないという受け取り方をするほうが自然だろう。
そして続いてまた「あなた」のセリフの形で、「キミは狡いよね」とある。
「狡い」という言葉ではあるが笑いながら言っているので、本気で非難しているわけではないだろう。
というか「辛いこと怖いこと全部忘れよう」と「あなた」に言っているのだから、そもそも「あなた」を想ってのことであり、それを「あなた」のほうも理解しているはず。
おそらくそこに「嘘」を入れることで、想いは伝えつつも直接的な事にはお互いに触れなくなるように「語り手」がしているのだと思う。
「あなた」のほうもそれを読み取って、二人の間にある何かしらには直接触れない。しかしそういうふうにある種「語り手」が誘導していることに気づいているから「狡いよね」と言っているのだろう。
かなりお互いのことを理解し合っている仲であることがわかるやり取りだ。
その後の「好きに言いなよ」も、言い返しているようでいて否定はしていない。
そして「おやすみ」。「明日 世界が終わる」というのにいわゆる「今日」が今まさに終わろうとしている。
となると、夜に二人ともが眠りに就こうとしているようなシチュエーションが思い浮かべられる。その直前の会話がここの歌詞なのだろう。
「もしも宇宙に」~「バイバイしよう」
「宇宙に雨がふる」ことも、「火星の海にシーラカンスがいた」というのと同様にあり得ないことだ。
シンプルに意訳するなら、「あり得ないことが起こったらあなたはなんて言うかな」ということになる。ただこの「あり得ないこと」の中身も、ある程度の方向性は読み取れる気もする。
もしも仮にこの歌詞での「宇宙」も今までのナユタン星人の歌詞への考察のように考えていいのであれば、「人の心」の例えということになる。
そして「雨」はアニメでも映画でも漫画でもドラマでも、悲しいシーンや逆境などの表現として使われる。この場合、「涙」のように捉えてもいいかもしれない。
要するに「心が泣く」ということを「宇宙に雨がふる」というあり得ないことに置き換えて「あなた」に対して言うことで、本心でありつつも「嘘」の話をしているのだと思う。
「あなた」が「また嘘の話をしてる」と思うようにあえて言っているという感じ。本心を言いたいけれども雰囲気を重くしたくはないから、「嘘」という体裁を利用している、というような。
「羊の夢」といえば、「羊が一匹、羊が二匹・・・」と羊の数を数えて眠る、というのが頭に思い浮かぶ。
眠るためにすることであると考えると、おそらく二人ともなかなか眠れないのだろう。
先ほども寝る直前の場面だったが、ここではもう寝床に就いているような印象を受ける。
その状況で「羊の夢で待ちあわせをする」というのは、「一緒に羊を数えてもう眠ろう」という意味だと考えることができそうだ。もう眠るわけだから、「今日はもうバイバイしよう」の歌詞とそのまま繋がる。
「明日、世界が」~「好きに言いなよ」
「明日 世界が終わる」という話がもう一度繰り返される。一度目との歌詞の違いは、「あなた」のセリフが「それも嘘でしょう」から「どれも嘘でしょう」に変わっていることと、ここの部分では最後に「おやすみ」がないこと。
「あなた」は「語り手」の言ったことを「どれも嘘でしょう」と笑いながら受け流しているようでありつつ、「キミは狡いよね」という発言からはやはり「語り手」の想いが伝わっていることを思わせる。
「今でも夜はつめたいから」~「最後まで愛しかったよ おやすみ」
「あなたとの思い出」とあるので、「語り手」と「あなた」が何らかの理由で別れたことがまずわかる。
つまり、「明日 世界が終わる」というのは「明日別れることになる」という事実を「嘘」に置き換えた言葉だったということになるのだろう。
「別れ」の原因はこの歌詞ではわからないものの、『水星のワルツ』の歌詞の「さいご」の表記と『火星のララバイ』での「最後」の表記が違うことから、こちらの歌詞での「別れ」に「死に別れ」の意味合いは含まれてはいないことが読み取れる。
「あなた」がどこか遠くで生きているとすれば、終わりの部分の歌詞は「語り手」の現在の本心を「嘘」を交えずに語っているという場面だろうが(「あなた」に実際に語りかけているのかどうかは微妙なところだと思うが)、一番最初の「体には気をつけて」あたりの歌詞は、「あなた」に対する遠距離でのやり取りを意味しているのではないかと思える。
電話やメールなどで現在は近くにはいない「あなた」に対して、「風邪はひかないで」「体には気をつけて おやすみ」と夜に実際に送っているメッセージようなイメージだ。
「別れた後にしばらくして連絡をしている夜の場面」が冒頭で、「別れる直前の二人の嘘を交えた夜の会話」がその後に続き、最後に「今現在の本心を語る」、という構成になっているのではないだろうか。
時系列順に整理すると、最も昔なのは「ふたりで」から始まる真ん中の大部分で、次が「近頃」から始まる冒頭の部分。そしてそこからさらに時間が経ったのが「今でも」から始まる歌詞の最後の部分になるのだと思う。
時系列はわかった気がするが、まだまだ気になることがあるので、それらについて改めて考えていく。
「火星の海にはシーラカンスがいた」
「嘘」の一つだとは思うのだが、なぜこのような内容の嘘を言うのかという根本的な疑問がある。
ただ、この曲が「別れ」の話でありその「別れ」が「明日」なのだとすれば、「未来の約束」は「再会の約束」ということになる。「今度見に行こう」というのは「いつか再会したときに」という意味になる。
しかしその「約束」の内容が「嘘」というのはどういうことなのか。
一つは、会話しているその場を暗くしないための冗談のような意味合いが考えられる。
二つ目は、本当のこととは思えないがちょっと確かめてみたくなるようなことを言って、実際に「再会」した後に確かめて何もなかったとしても楽しめるだろうというふうにそのときの自分たちを想像したうえで、「再会の約束」として「嘘」を言うのは二人の関係性としておかしくはないから。
三つ目は「再会の約束」の内容を「嘘」にすることで、その「再会」が果たされなかったとしても「約束」の中に「嘘」が含まれているから、「約束」そのものもなかったことにできる。
二人ともが「嘘」であることをわかっているなら「絶対にしようと誓いあう」という感じにはならず、約束のような言い方をしたけどその場の冗談みたいにも取れるから、「必ずしなければならない約束だと受け取らなくてもいい」ような感じになる。つまり「再会」はもうしないかもしれないと思っているところがあるから、「嘘の約束」をしたとも考えられる。
「再会の約束」に「嘘」を入れる理由はおそらくこのようなところではないかと思うのだが、今度はその「嘘」の内容が気になる。
「火星」についてどの程度の認識で解釈するべきなのかが難しいところなのだが、もしも「昔は本当に海があった」という知識が前提になっているのなら、「シーラカンス」が昔から形をほとんど変えずに現代まで生き残って「生きた化石」と呼ばれていることなどと合わせて、「遥か昔から今まで、もうないと思われていても、ずっと変わらずに残っているものがあった」というような意味合いに受け取れる気がする。
ということは「別れ」を前にした「語り手」が、「あなた」に対して「ずっと変わらないものがある」というメッセージをあえて「嘘」に込めたのかもしれない。
「ケーキ」「ロウソク」
「別れ」の直前の場面だと考えると、それこそ「送別会」みたいなものを二人でしている場面での「ケーキ」なのかもしれない。
「星が消えた」というと具体的にはわからないが、「光っているものがなくなった」というニュアンスで捉えるなら、例えとしては「命がなくなった」とか「夢に破れた」とか、「生き生きとしていたものが終わった」ことを意味していると思われる。
しかしその数だけ「ロウソクを立てる」、つまり言い換えると「火を灯す」ということは、「光を新たにつける」ということになるので、「将来が良い方向へ進むようにという祈り」のような印象だ。
「誕生日」のイメージに重ねて「今まで良くないこともたくさんあったけど、明日から新しく生まれ変わろう(再出発しよう)」という意味もあるのかもしれない。
このあたりなんとなく、『水星のワルツ』での考察と重なる気がする。「良くないことがあって、二人で一緒にこの場所に辿り着いたが、最終的には二人も別れる」というストーリーだ。
その「別れ」の場面が『火星のララバイ』という考え方も、一つの解釈としてできそうに思う。
タイトルについて
「火星の海」のところで「火星」という単語は出ているものの、この部分よりタイトルに関わる重要な歌詞が実は他にもあるのではないかと思う。
それが「近頃、夜も冷えるからさ」、「今でも夜はつめたいから」、「ちょっとずつ冷えてく」と「ロウソク」だ。
そして時系列もまた重要になる。
二人でいる場面が歌詞の中で最も昔のことであり、他の二つの場面と同じくこのときも「夜」ではあるが、このとき「ロウソク」には「火」が灯されたはずだ。
その後におそらく寝床に移動したと思われるが、この二人でいる「夜」の場面全体を、「火」があることから「暖かい夜」として捉えることができるのではないだろうか。
だからこそ、「別れ」の後の場面で「近頃、夜も冷えるからさ」という言葉が出てくることになるのではないか。
なぜ「夜も」という言い方なのかが気になっていたが、これは「昼も夜も」という意味ではなく、「夜でさえも冷える」、「夜なのに冷える」というような意味であって、逆に言うと「二人でいる夜は冷えなかった」ということを意味している。
「二人でいたころの夜は寒くなかったのに、最近は『夜も』冷える」という捉え方だ。これはもちろん単純に気温が下がったという話ではなく、「一人になったから」だろう。
その寂しさから、寒さをより感じるようになってしまったと考えられる。
そして時系列的にも歌詞としての最後の場面は、「今でも」とまずあるので、冒頭の「近頃」~「体には気をつけて おやすみ」の場面よりもさらに後なのだろう。
そのくらい時間が経っても、「今でも 夜はつめたい」。
だから「あなたとの思い出も ちょっとずつ冷えてく」。二人でいたときの思い出が「暖かい夜」ということであるなら、その「暖かさ」がどんな感覚だったのかを徐々に忘れてしまっていっているのだろうか。
「悲しいときにさえ 無理に笑うとこも 最後まで愛しかったよ」という言葉から、「嘘でしょう」や「キミは狡いよね」と「あなた」が言っているときに「笑う」のは、やはり「語り手」の「嘘」に付きあっていたというのがわかる。
そしてそのように片方は「嘘」を言い、もう片方は「無理に笑って」、お互いに本心は察している中であえて明るくしようと振る舞っていたそのときの場面の、そのやり取りや関係性などに感じられる「暖かさ」を「ロウソクの火」から連想できるようにしているのではないだろうか。
つまり「二人で一緒にいた夜」を「暖かな火の灯る星」と捉え、それを「火星」としている、という考察だ。
二人が別れてしまえばその「火」は消え、「夜はつめたく」なる。
つまり『火星のララバイ』とは、一人になった「語り手」が、二人でいた「暖かな夜」を思い出すことでそれを「子守唄」のようにして、なんとか寒さに耐えて眠りに就こうとする話であると言えそうだ。
一方でやはり歌詞で直接「火星」が出てきているので、おそらく「あなた」を少しでも笑わせたり安心させたりしたいという、「嘘」の象徴でもある。
だから「あなたが眠れるようにするための子守唄のような嘘」という意味も、タイトルの『火星のララバイ』にはあるのだろうと思う。
終わりに
『水星のワルツ』には「死に別れ」の解釈があり得たように思うが、『火星のララバイ』にはそれはないと思う。ただ、「再会」があるのかどうかというと、可能性は低そうな印象だ。あったとしても結構な年月が経った後になるような感じがする。
そして『水星のワルツ』と『火星のララバイ』の二つの曲がまったく別の話なのかと言うと、共通する部分があるのでそうとも言い切れないと思う。
『水星のワルツ』での「死に別れ」ではない「別れ」の解釈であれば、この『火星のララバイ』の歌詞とは矛盾しないように思えるからだ。
とはいえ断言はやめておこう。ただ、関連があるという前提に一度立ってみて二つの歌詞を見比べてみるというのはやってみてもいいと思う。こちらでの二つの曲に対する筆者の考察も、まあもちろん正しいとは限らないが、参考程度に見比べてみてもいいかもしれない。
『火星のララバイ』という曲は特に「別れ」の直前の二人の関係の繊細な表現が特徴的だと思う。
「嘘」を言いながらも本心を伝え、本心を感じ取りながらも冗談を言われたかのように「笑う」。そして「笑っている」相手の本心もまた伝わってきているが、直接口には出さないというこの関係性だ。
きっと二人ともが「別れ」をそれ以上辛いものにしたくないと思っていて、また「別れる」のなら「良い別れ」にしたいと思っている。
そういうお互いにお互いのことを想って振る舞う二人がいる状態は「暖かい」。だから一人になると「つめたい」。
今が一人だから「暖かい」状態を思い出したいけれど、「思い出も ちょっとずつ冷えてく」。
『火星のララバイ』はそのような、温度への感覚が大切になる歌詞なのではないかと思う。
というところで、今回の考察を終える。
そして次のナユタン星人の曲は『太陽系デスコ』。
絶対に難しいのは最初からわかっている。あと歌詞が長い。さらに前に解釈した曲と関連もありそうとあって、考察するうえで大変な要素ばかりだ。それが面白いとも言えるが。
曲を聴きながらそのノリで考察もできればいいが、そうはいかないこともまた、すでにわかっている。