『水星のワルツ』では思い切れない




今回は「ナユタン星からの物体X」の六曲目に収録されている「水星のワルツ」について考えていく。

この曲もシリーズものだろう。「X」より後のアルバムを見れば明らかだ。そしてこの曲は、アルバム内でも少し他の曲とは違った雰囲気の曲になっている。ということはおそらく、アルバムの中では重要な役割を担っているのだろう。曲調の幅を広げるだとかも含めて。

歌詞自体は歌詞カードかネット検索かでなんとかして見てほしい。

これから歌詞の解釈をしていくが、具体例をあげることはあっても基本は抽象的に捉えていきたい。

ここで書くのは筆者の「思考」そのものだ。あまりに的外れだと思われるような解釈ははずしておくが、「答え」だけを書くということはしないしできない。断定的に言っていたとしてもどこまでいっても推測でしかないためだ。しかしもちろん、他の解釈を否定するものではない。

というわけで、考察を始めよう。

まずは、よくわからない言葉を調べてみるところからだ。

「アルケー」

始原・原初・根拠・原理などの意味があるらしい。哲学用語としては、万物の根源というような意味で使われるようだ。

「ヘリオポーズ」

太陽から放出された太陽風が星間物質や銀河系の磁場と衝突して完全に混ざり合う境界面のこと。ってwikipediaに書いてあった。なるほどそれはつまりどういうことなのだろうか。まあそのへんは後で考えよう。

「ライカ」

カメラのブランドが有名だと思うのだが、地球の生き物の中で初めて宇宙に行ったという犬の名前が「ライカ」なのだそうだ。別の名前として「クドリャフカ」というのもある。ちなみにその犬は宇宙で死んでしまったようだ。「ライカ」という単語がどちらを指しているのかはわからない。

この曲の歌詞を何度か読んだ印象では、やるせなさや悲しみ、どうしようもならないというような感情を受け取った。しかし別れの曲なのかと考え出すと、そうと決めつけることもできないような気がする。

具体的な時間や場所などの描写がないので、今まで以上に抽象的に捉えることが重要と思う。

とりあえず歌詞に入ろう。

「衛星の先・・・闇の光」

アルバムの曲順としては後になるのだが、「衛星」という単語の意味を考えるときには、「ロケットサイダー」の歌詞にある「衛星都市」が頭に浮かんでくる。衛星とは惑星の周りを回っている星のことなので、意味合いとしては中心から外れたところにある都市のことだ。大都会に対しての中規模の都市のような。

ということでおそらく「衛星」という単語には中央から外れている場所というような意味が込められていると思われる。

そしてそれがタイトルの「水星」だとするならば、この場合の中心とは「地球」ではなく「太陽」に対応しているのだろう。

そう考えると、「衛星の先」という言葉のニュアンスも掴めてくる。中心(例えば都会)から遠のくように(例えば地方都市のほうへ)移動していくイメージは、太陽を背にして水星のほうへ移動していくイメージと重ねることができる。

つまり「衛星の先」とは太陽から見たときの水星の向こう側のことであり、それは中央から遠のこうと移動してきた現在地のさらに先、ということでもある。最初の一行目の歌詞難しすぎ。

そこに対して「あなた眩んだ」のは、「アルケーがみせた」「闇の光」なのだそうだ。

太陽=中心に背を向けて移動するとき、その視界と心情が重なる。一寸先は闇というやつだ。真っ暗な宇宙空間と、心情的な闇。その状況の中で行く先に光が見える。それが見えるようになったのは、「アルケー」つまりこの世の構造がわかったように思えたからだ。

言いかたを変えると、天啓を得た、ということになるのだろう。ただしここで重要なのは「みせた」と「眩んだ」のニュアンスだ。

この世の構造がわかったように思えたから、この先どうすればいいのかが見えた。ただ、それは真理のように思える何かが外から与えられたためだ。本当に正しいとは限らない。「眩んだ」という言葉には心を奪われて正しい判断ができなくなる、という意味もある。要は「アルケー」によって「みせられた」というニュアンスもあるわけだ。見えたのは幻かもしれない、という。

ようやく冒頭の二行がまとめられる。

中央へ背を向けた「あなた」は、そこから外れる方向へと移動していく。目指しているのは何も見えない状況の中、ふいに現れた希望のように思えるところ。

「大事なもの・・・空気を奪う」

から箱には大事なものや隠したものを入れていたのだろうが、今は何も入っていない。ということは、喪失を意味しているのだろう。

空気を奪われれば呼吸ができなくなる。生きていられない。

大切にしていたものをうしなったことによってそのような心情になっているという歌詞だ。

「丁寧な選択・・・ヘリオポーズ」

重要なのはなんといっても「ヘリオポーズ」の意味だ。先に太陽風がなんたらかんたらとか書いたのだが、つまりは太陽=中央が影響を及ぼす範囲という捉えかたをすればいいのだと思う。

中心・中央から届かなくなる境界線が「鮮明なレーダー」によって見えた、ということだ。「レーダー」のところは要は、冷静な観察という理解でいいはず。

「丁寧な選択」も、何を選んだのかはよくわからないが、「丁寧」というところからは静かな印象を受ける。

「ぼくらはずっと・・・知っていたから」

諦めのような感情を受け取れる。「こうなる」が何を示しているのかが微妙なところだ。別れのニュアンスが含まれるのかどうか。少なくとも今までの歌詞から読み取れるのは、中央・中心から逃れるということ。「こうなる」のニュアンスの中にそれは最低限含まれているはず。

あと地味に重要な、一人称「ぼく」の登場だ。これで、この曲の登場人物が「ぼく」と「あなた」の二人であることがわかった。

「忘れて・・・邪魔なだけでしょう」

「想い出」がなんのことなのかは解釈の方向性次第だろう。二人の間の想い出に限定する必要は必ずしもないと思う。もしここでそう限定したなら、この曲はこの後二人が別れることになる歌だということになるが、例えば失敗の経験とも取れる。その場合は想い出を忘れることは、二人の関係性に影響しない。

「あなたが望むままに」なので、「ぼく」が忘れてほしいのではなく、忘れてしまっても構わない、というニュアンスになるのが重要だ。忘れたいなら忘れていいよ、という感じ。

「この先」という言葉には、今いる位置からこれから移動するという意味が含まれている。ようにも思うのだが、もしかしたら時間的な意味合いでの「この先」と言っている可能性もある。

「笑って・・・上手にできるから」

日本で言うワルツといえば、おそらく社交ダンスのイメージがあるんじゃないだろうか。これに関しては正直一般的な感覚がわからないので自信はないが。知らなすぎて。

しかしもしそうなら、男女一組でのダンスのイメージだ。比喩として捉えるときも、二人で何かをするというところは変わらない。

「この星」は「水星」を示し、おそらく冒頭の歌詞の「衛星」でもあるのだと思う。本当は水星は惑星なのだが、そういう問題じゃない。どんな意味合いがその言葉に込められているのかが重要なのだから。

ところで二人でするのが何であるのかも、解釈の方向次第で大きく変わる。

つまりは「さいご」という言葉の意味次第だ。わざわざひらがなで書いてある以上、「最後」と「最期」の二つの意味があることになる。「最期」のほうだとすると、おそらくは「ぼく」のほうが死んでしまうということになる。だから「忘れて」と「あなた」に対して思う。

この場合は歌詞の「想い出」は二人での想い出のことになる。「この星なら平気さ」という言葉も、残されることになる「あなた」への励ましと取れる。だから「ワルツを踊」るのは死別を前に、「最期」は「笑って」すごしたい、ということだろう。だから必然的に二人で楽しいことをすることが踊りの内容ということになる。

一方で、「最後」だとすると、「ぼく」は死ぬわけではない。ただし別れることにはなるという方向性での解釈はあり得る。しかしあくまで別れないという解釈も可能だ。

別れる場合は行く先が異なる、というパターンが考えられる。「あなた」はさらに中央から遠くへ行こうとするが、「ぼく」にはそれができない、などだ。

このときには「この星なら平気さ」という言葉はさっきの場合では今後の人生にかかっていたが、こちらの場合では「ワルツを踊」ることにかかる。ここならうまく踊れるから平気だよ、という意味。

踊りの内容は、二人は今しか一緒にいられないのだから、期間の短いものであることになる。楽しいデートなどを二人で一定期間何度もするような。

一方で別れないのならもっと長期間に渡るので、踊りの内容は生活全般のことになる。踊る=破綻しない生活を送るという捉えかただ。

このとき「さいご」という言葉の意味合いは、これ以上移動することはない、ということになるだろう。つまりこれから先死ぬまで楽しくこの地で暮らしていこう、という歌詞の意味だということだ。

いずれにせよ、「この星なら平気」と言っている以上、ここに来る前は駄目だったということだ。つまり中心・中央にいたころは駄目で、ここまで逃れてきた。そしてこの先は、というところで解釈が分かれていく歌詞。

とりあえず三パターン挙げてみたが、もしかしたらまだあるかもしれない。難しい。怖い。

「ライカが鳴いた・・・ついさっきだったか」

比喩表現として「鳴いた」と言っている可能性も正直ありそうなので「ライカ」=カメラ説も否定はしきれない。そのとき、写真が二人が一緒に映ったものなら、それが象徴するのは二人で一緒にいた過去の情景であり、その証明だ。つまり二人が間違いなく一緒にいたのが「ずっと前」もしくは「ついさっき」。

これが意味するのは、どこかのタイミングで二人が別れた、ということだろう。

だが写真に映るのが過去の証明だとすれば、「ずっと前」の写真は消せない過去であり、「ついさっき」の写真は直近の二人の状態の証明。それがはっきりしないような描写になっているのは、昔の嫌なことを忘れるために今の二人で作った新しい想い出で上書きしていこうとした結果ともとれる。

つまり、「ずっと前」の時点から「ついさっき」までの間に何枚も何枚も写真を撮っていたが、今はもうそれをすることはない。その理由が、二人が別れたから、という考え方だ。

しかし「ライカ」とは宇宙に行った犬の名前である、という可能性も考えたい。

「ライカ」という犬が象徴するのは、宇宙に行ったまま帰ってくることなく死んでしまうという物語だ。しかもそもそも設計上、最初から戻ってこられる可能性すらなかった。

ということは「ライカが鳴」くことは、もう戻れない、という心情や状況を表しているのではないか。

そうだとすれば、戻るということができなくなったのが、「ずっと前」もしくは「ついさっき」だと言っていることになるわけだ。正確なタイミングはともかく、もう戻ることはできないのだ、と。

ここまで「ライカ」が犬であるという可能性を真剣に考えるのは、「鳴った」ではなく「鳴いた」という歌詞だからだ。宇宙関連ということもあるし。もちろん本当のところはわからないのだけれども。これでもしこれまでの考察と歌詞の意味が本当にまったく違ってたら鳴く。いや、泣く。

「天気予報は・・・長くなりそうだ」

楽しく過ごせていた期間が終わりに近づいていることを予感している歌詞だ。別れかもしれないし、何か意識を嫌な過去に引っ張るような出来事がやってくるのかもしれない。

「忘れて・・・思い出すことを願うよ」

「いつか」はずっと先の話なのだろう。「ふと思い出す」という表現は「ああ、そういえばそんなことあったな」というくらいの距離感で、というようなニュアンスを感じる。激しく心が揺さぶられるような思い出しかたではなく、という。

忘れようとしていたことさえも忘れた後に、という言い方もできるだろう。

「笑って・・・涙も見えないように泣けるから」

の前に、先に最後の歌詞に行こう。

『「思い出すこと・・・できやしないから―」』

ここは歌詞自体に「」がある。つまり、セリフだと思われる。

今まで「ぼく」の語りとして読めたので、この部分はそうではなく、「あなた」のほうの言葉なのだろうと思う。

最後の「―忘れないから」の部分も「あなた」の言葉もしくは心情のような気がする。あるいは「ぼく」のセリフとも取れるが。ともかく、二人とも似たような心境にあるようには思える。

普通に読めば、別れても忘れない、忘れられないという意味だろう。実際それも間違っていないはずだ。

しかし別れない場合の受け取り方も考えておきたい。

そのとき、「思い出すこと」は過去の記憶をということになるが、嫌な記憶はあるにしても、「ぼく」と「あなた」の記憶も含まれていることになる。

だから、「忘れる」ということをしようとするときには、二人の記憶ごと封じ込めざるを得なくなってしまうのではないか。しかし「あなた」はそれはしたくないしできない。二人の記憶もその中にあるから忘れることなどできない、という意味に取ることができるのだ。

さて、ようやくこの歌詞における「水星」とは何かを考えてみよう。

そのためには、前のほうの歌詞に戻る必要がある。

「ヘリオポーズ」の歌詞を、太陽からの影響、つまりは中央からの影響の範囲のことだと解釈した。

「鮮明なレーダー」によってわかったのは、中央からの影響が及んでいる範囲。「ぼくら」からするとそこから逃げてきたわけだから、その範囲内である現在地よりもっと遠くへ行きたいのだが、生活が難しくなるラインがある。それが「ヘリオポーズ」なのだ。

そこで、「丁寧な選択」をした。それをしたのは「ぼく」だけもしくは「ぼく」と「あなた」の二人。解釈で二人が別れることになるかどうかで決まる。

このときの選択が、この「水星」に留まるか、さらに中央から遠くへ行くかということなのではないだろうか。

それは、諦めや妥協と呼ぶことができる。中央で挫折し、遠くへも行ききれない。もしくは、その途中で意見が分かれてしまい、二人が一緒にいることもできなくなってしまう。

それについての心情が、「ぼくらはずっと どうしたってきっと こうなることも 知っていたから」の部分だ。そう、だからこそこの歌詞なのではないか。

ではそれを踏まえて、残った歌詞を考えてみる。

「この星なら、涙も見えないように泣けるから」

涙が見えないのがどういうときかといえば、濡れているときだ。雨が心情的なものを表していることから、「この星」はいつもそのような状態にあるらしい。

「衛星」をどのくらいの規模感で捉えるかが重要になる。先に「衛星都市」の話をしたが、街として捉えると少し難しい。

もっと小規模な集団として考えれば理解しやすくなる。

「衛星」は中央から影響を受ける。小規模な集団も否が応でも中央からの影響は受ける。しかし中央と繋がっていなければ生きていけない。そこに諦めがある。

その諦めとは、中央に行くことはできず、しかしこれ以上離れることもできないということにより、今の状態を嫌でも続けざるを得ないという諦めだ。

つまりこの心情こそが「この星」のベースにあり、それは「ぼく」や「あなた」の物語とほとんど同じ構図なのだ。

要するに、「この星」にいるのは「ぼく」や「あなた」と同じような道筋を辿ってきた人なのであり、その中にいる場合には皆も同じように「泣」いているがために「涙」が「見えない」ということなのではないだろうか。

皆が似たような背景を抱えて涙に濡れているという状態のその場所あるいは集団のことを、この曲では「水星」だと言っているのだろう。涙で濡れた星の意だ。

そしてこの曲は、どうしても切り離すことができない「望み」と「過去」に縛られることへの諦め、あるいは諦め切れなさを表現しているのだろう。

ドライではなくウェットな心情の歌詞だということだ。なぜそうなるかといえば、そう簡単に割り切れないからであり、捨てられないから。それでもそこで生きていくのか、それとももっと遠くまで行ってしまうのか。どちらにしても、忘れることはできない。

ところで今更だが、この曲の歌詞はすべてネット上のコミュニティとして捉えても成立する気がする。その場合、「ぼくら」はネット上で居場所を探している「ぼくら」のことであり、「あなた」はそこで迷っている他の誰かとも取れる。つまり我々のこととも。

「この星」はSNSなどのコミュニティと考えてもいいし、「涙も見えないように泣ける」のだって、端末の前で泣いてたって画面の向こうの人は気づかないだろう。

そして、「忘れること」が「できやしない」のは、完全に記録として残るから。削除してもなんかどっかに残ってる、みたいな。

「大事なもの 隠したもの そのから箱が 空気を奪う」も、「から箱」をパソコンとかタブレットなどだと捉えると、うん、いろいろ「隠し」てる気がする。「空気を奪う」も、言い換えると「空気を読むことを半ば強要される」ということのように読める。

もしかするとこっちのほうが本線なのかもしれないが、ネット上であれ現実世界であれ成立するのだから、別に先の解釈も間違ってはいないのだと思っておく。

ネット上の解釈だと恋愛要素がほぼ消滅することになるのも面白いところだ。

というか、よくこんなふうにいくつもの解釈が同時に成立するように歌詞を構築できるものだ。今までで一番解釈に苦労した気がする。まあ毎回そう思うのだけれども。

そして今までの解釈ももっと別の見方があったんじゃないかと思えてくる。何か気づいたら後から追記という形で書き足すこともあるかもしれない。

「水星のワルツ」のテーマは、割り切れなさ、捨て切れなさ、諦め切れなさという感じがする。まさに湿っぽさを感じる歌詞だ。水の星っていう感じ。

歌詞解釈は難航したが、自分自身としては結構満足のいく出来となって安心している。だいたいいつも最初に思っていたのと違う方向に解釈が変化していくので、一筋縄ではいかない。

「うまくいった」みたいな空気をちょっと出してみたものの、相変わらず本当に合ってるかどうかはわからない。見逃していることもあるかもしれないし。っていうかたぶんなんかあるだろうし。

とはいえ、本当に考え甲斐のある歌詞だ。凄く面白い。

次回は「ハウトゥワープ」。今回ほどには苦労はしないといいなと思っているが、思っているだけである。