今回は「ナユタン星からの物体X」の三曲目に収録されている「飛行少女」について考えていく。
この曲は動画としても上げられている。ただ、動画が投稿されたのは「ナユタン星からの物体X」が再販されたタイミングのようだ。そのため、この曲よりも先に「エイリアンエイリアン」の動画が上げられている。しかし再販時に追加された曲というわけではない。
いつごろから1stアルバムの構想があったのかはわからないが、この曲はアルバムのために制作されたものであると思われる。
歌詞自体は歌詞カードかネット検索かでなんとかして見てほしい。
これから歌詞の解釈をしていくが、具体例をあげることはあっても基本は抽象的に捉えていきたい。
ここで書くのは筆者の「思考」そのものだ。あまりに的外れだと思われるような解釈ははずしておくが、「答え」だけを書くということはしないしできない。断定的に言っていたとしてもどこまでいっても推測でしかないためだ。しかしもちろん、他の解釈を否定するものではない。
というわけで、考察を始めよう。
おそらくこの曲の歌詞においてキーになるワードは、「境界」だろう。
「わたし」と「あなた」の二人が登場人物なのだろうが、「あなた」のほうは重要でないわけではないとは思うものの、キャラクターとしては存在していないに等しい。
「わたし」にとっての「あなた」という部分だけが重要なのであって、「あなた」がどんな人であるのかは、この曲にとってそれほど重要ではないのかもしれない。
実際、曲のほとんどは「わたし」の心情描写になっている。タイトルにも「少女」とあるし、中心となっているのはやはり「わたし」のほうなのだろう。
具体的な年齢はともかく、「少女」と言うからには学生だと思われる。ここは大事なポイントかもしれない。
「恵まれて・・・満たされない」
ここは言葉の通りだろう。感性としてはやはり若年層っぽい。歌詞解釈からやや外れるかもしれないが、社会の状況を過去や発展途上国などと比べてみれば、「恵まれている」という言い方は不自然ではないし、多くの人が実感できるところだろうと思う。
一方で、「満たされない」感覚のほうも実感は持ちやすいだろう。自分の力で勝ち取るような経験もなく与えられたものばかりでは、生きるための環境は整っていても何か物足りない感覚がつきまとう。学校のような空間の中にいて打ち込めるものが見つかっていない人などにこのような感覚を抱く人が多いのではないかと思う。
「死ぬほどでは・・・生き苦しい」
というのは、そういう状況の中で打ち込めるものがなければならないという圧を感じてしまうところもあるのかもしれない。「生き苦しい」が「息苦しい」とかかっているのはわかると思う。
息苦しさは、そうしなければならない、そうありたいというイメージと実際の自分の間に落差があるように思えるからだろう。そのために自分が何をすればいいのかわからないだとか、今できることがほとんどないといったこともあり得る。すべてひっくるめての、「生き苦しい」だ。
その手前の歌詞の「こんなこと・・・それもどうだい?」。
場所は友人かもしれないし家族かもしれないし、教師かもしれない。もちろん「あなた」である可能性もあるが、確かなのは誰に言ったところで明確な解決方法が得られないというところだろう。一時的に気は静まるかもしれないが、状況は変わらない。閉塞感というやつだ。
「健全と・・・反復横跳び」
双極は二つの極。だから意味合いとしては健全と不健全の間を行ったり来たりしているということになる。不安定な精神状態を表しているのだろう。反復横跳びの動作のイメージと二つの極端な状態を行ったり来たりする様を重ね合わせているわけだ。後のほうの歌詞にある「ツーステップ」も同じように捉えていいはずだ。
「健全」というのは、いわゆる模範生のような生活態度のことだろう。「不健全」は、だからその逆となる。やはり学生で考えると、親や教師の前では真面目に過ごすが友達とは悪戯をしたりしてしまうようなことではないだろうか。とはいえ別に犯罪をイメージする必要はないだろう。軽い校則違反くらいのことかもしれない。
「ベイビー」は恋人を呼ぶときなどに使うらしい。もちろん使い方はそれ以外にもいろいろあるが、この歌詞の場合最も近いニュアンスは恋人なのではないかと思う。
「このまま飛んで・・・繋いでいたいだけ」
このあたりの歌詞は、「不健全」な行動として捉えられる夜遊びのようなことを考えればわかりやすい。
「このまま」というのは家に帰らずに、という意味が含まれていると思われるし、「飛んで」は逃避がイメージできる。「夜をこえて」とあるので、少なくとも翌日までは。もちろん「あなたと」とある以上は一人ではない。「この手を」という表現から現状「あなた」と一緒にいるのだろうと思える。「繋いでいたいだけ」という部分からは衝動的な行動であることがわかる。
ちなみに時系列的に考えると、このときは夜ではあるかもしれないが、今帰れば別に問題にならないような時間帯だと考えられる。「このまま飛んで」には帰らないと「非行」になるという意味もある。「このまま飛行して」と言葉を変えると、「このまま非行して」という意味になる。「非行」が夜遊びなら、本格的に夜が更けてくるのはこの先だ。
「ユーエンミー」は you and me だろうから、意味はそのまんまだ。一緒にいるということ。「22時の境界」というのは、これ以降はいわゆる「非行」になる時間帯ということだろう。
なぜ22時なのかは、はっきりしたことはわからないが、昼営業の多くの店が完全に閉まっている時間ということかもしれない。あとは警察に補導される時間帯が22時か23時以降らしいので、そっちの意味合いがあっても不思議はない。
「3000メートルで見下ろして」
すでに飛行しているわけだから、結局帰る気はもうないのだろう。歌詞にあるとおり、時刻は「22時」。「今日はもう眠りたくないだけ」とあるが、規則正しい生活をしようと思ったらもうそろそろ寝ていなければならない時間帯だ。その意味でも「不健全」側に傾いている。
「3000メートル」という数字の意味するところは、正直よくわからない。「飛行少女」なので高度3000メートルのことであって、それも山の高さなどではないであろうことはわかるのだが。飛行機は高度1万メートルくらい。ヘリは4000メートル以上までも飛べるらしいし、エベレスト登頂が可能ということは人体は8000メートルまででも、危険は相当あるだろうが行くことは不可能ではないということだから、人体が耐えられる限界というわけでもない。
スカイダイビングでは1000メートルから4000メートルくらいのところから飛び降りるらしい。スカイスポーツで考えれば、3000メートルという高さはそこまでおかしな数字ではなさそう。身一つで飛行する高さとして現実的なレベルであるところから「3000メートル」としたのかもしれない。
「方法は・・・気がのらない」
ここは現状を変えるために必要なアクションを取ろうと思えない心境を表現していると思われる。
これも少し踏み込んで考えてみると、その「方法」とは基本的には二通りあるのではないかと思う。一つは、その環境内に完全に順応すること。学校なら勉強や部活。あるいは友人関係の問題であれば、自分が中心的なポジションについてしまえばいい。もう一つは、その環境から脱すること。学校自体をやめるだとか、親と物理的に距離を取るだとかそういう「方法」だ。どちらかに振り切ってしまえば状況は変わるだろうが、ハードルが非常に高い。
今までの関係性を変えてしまう可能性があるそれらの「方法」は思いつくのだけど、「気がのらない」のはとてもリアルな感情だ。
「こんなこと言える人は」のところは場所のときと同じだ。話すことができる人がいる程度には「健全」だが、解決は結局せずに現状が続いていく。
「ヒコウしたいような」
これは先に解釈した「飛行」と「非行」の両方の意味にかかっている。現状から抜け出したいというような感覚。
「ヒテイしてほしいような」
普通に考えれば「否定」しかない。「否定」だとすると、「非行」に対する「否定」だろうか。思いとどまるようにという説得をしてほしいということかもしれないが、その対象となるのは「こんなこと言える人」もしくは「あなた」だろう。同一人物かもしれないが。シチュエーション的に、「非行」の相談のようにも思えるからだ。
ただ、「非定」とかかっている可能性もある。定型の反対語として非定型という言葉があるが、定まった型ではないという意味だ。つまり、決められた一定の規律、規範、規則から抜け出させてほしいという意味で、「ヒテイしてほしい」と言っているようにも取れる。
あるいはもっとシンプルに、自分を型に当てはめて考えないでほしいというほうが近いかもしれない。こっちの場合は対象は「あなた」ではなくなるかもしれない。
「チャイルドとアダルトの」
子供と大人の狭間で迷いを抱えていると捉えられる。おそらく実際の年齢もそのくらいなのだろう。もちろん精神的な意味合いのほうが強いだろうが。子供っぽい欲求と大人っぽい分別の間で揺れ動いている、といった感じだ。
「それでも飛んだ」
時系列ではおそらく最初のサビと二回目のサビが連続している。つまりここはいったん入った回想から現在に戻ったようなところだ。だからこういう言い方になっているのだと思う。「飛ぶ」という言葉の意味自体は変わりはないはずだ。
「安全圏からも抜け出して」
直前に再び「22時の境界」とあるので、一度目のサビの直後だと思われる。ちょうど過ぎたくらいの印象を受ける。ここからさきの時間帯は「安全圏」ではない、ということだ。
繰り返しの部分があるので一度目はスルーしたが、「ABC 123 いろはにほへと」のところは、記号的なものの捉え方のことを示しているのだと思う。さっきの解釈から引き継げば、定型的な考え方のことだ。常識、モラルなどの言葉がそれにあたる。
「そんな決まりはいらない」
これは「少女」の心境そのものだろう。
「わたし・・・そんな境界はいらない」
境界というのが錯覚であるのは一度こえてみればわかることだ。「境界」はこの歌詞の中において、「生き苦しさ」の原因だと捉えることができる。行動を束縛する思い込みだと言ってもいいだろう。
だから「いらない」と繰り返し言う。
しかしそう主張しつつも、最後の最後に「と、思うよ」と揺り戻しが来る。
「不健全」に振り切れようとしたところで「健全」に戻ってきてしまう。この自分勝手になりきれない感じも、なんとなくわかってしまう。
「非行」の程度を見る限り、家出まではいっていないように思える。一晩だけ帰らないというくらいのことだ。
現状に不満はあるけれど変えようと動き出せはしない。衝動的にそこから抜け出すのだが、最終的には戻ってしまう。
「飛行少女」は飛行=非行することでしか自分の中にあるわだかまりを発露させることができない少女の状況や心境を描いた曲だ。
皆が我慢することで成り立っている状態が果たして「健全」と言えるのか、という疑問もあるが、これは曲ではなく社会へのクレームだ。
この歌詞の中では「健全」というよりも「健全とされている状態」、「不健全」も「不健全だとされている状態」というふうに考えたほうがいいだろう。この解釈の中でもそのように書いてきた。
それにしても、動画での印象とは逆でなんともすっきりしない歌詞解釈になった。
しかし「飛行」が「非行」だとするなら、「非行」によってすっきり問題が解決することなんてないのはわかりきっている。
だからまあ仕方ない。「片想い」「大事な人との別れ」と来て今回は「日常の閉塞感への鬱屈」といった感じだ。ナユタン星人の曲の歌詞は本当に見た目ほど軽くはない。
次回は「パーフェクト生命」。なんとなく解釈に苦戦しそうな気配を感じている。